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2024.03.22

【特集】“レスリング・アンバサダー”の活躍が望まれる“ジャンボ鶴田二世”、人気急上昇の安齊勇馬(中大レスリング部OB)-(上)

 

 中大レスリング部時代の1972年ミュンヘン・オリンピックに出場した鶴田友美(2000年没)は、のちにジャンボ鶴田としてプロレス界で一斉を風靡(ふうび)した。いま、全日本プロレスに、“鶴田二世”として脚光を浴びている中大レスリング部出身の選手がいる。安齊勇馬、24歳(群馬・前橋西高卒)。

 身長188㌢と恵まれた体格から繰り出すドロップキックや、レスリング仕込みのジャーマンスープレックスなど数種類のスープレックスは、まさにジャンボ鶴田の再来。街で芸能プロダクションからスカウトの声がかかった経験もあるという“イケメン・レスラー”で、会場が安齊コールで包まれることもしばしば。

▲3月10日、地元・群馬の高崎に凱旋、リング上で花束を受ける安齊勇馬

 今月30日の東京・大田区総合体育館大会では、外敵として全日本プロレスのリングを荒らし回っている中嶋勝彦の持つ三冠ヘビー級王座へ挑戦することが決まっている。10日に地元・群馬の高崎Gメッセに凱旋したときは、試合後にリング上から「次は必ずベルトを持って凱旋します」と宣言。地元の観客から大声援を受け、決意を新たにした。

 デビューは2022年9月の日本武道館。相手は新日本プロレスから参戦していたレスリング界の先輩でもある永田裕志(日体大レスリング部OB)。これだけの大会場で、新日プロを代表する選手を相手に抜てきを受けたのは、全日本プロレスの期待の表れだろう。

 ちなみに、現在、世界最大のプロレス団体WWEのスターとして活躍している中邑真輔(青山学院大レスリング部OB)も、日本武道館でデビュー戦を行う破格の扱いを受けている。

▲135kgのハートリー・ジャクソンをジャーマンスープレックスで投げ、凱旋試合を飾った

深夜のプロレス中継を見て、プロレスラーを目指すことを決意

 父・義宏さんが伝統派空手の世界チャンピオンだったこともあり、幼少の頃は空手に親しんだが、小中学校では兄の背中を追って野球やサッカーに打ち込んだ。中学のとき、深夜に放映されたプロレス中継を見て、「こんなカッコいい世界があるのか」と気持ちが動き、レスリング転向を決意。「次の日には野球部の先生に『野球は続けません。レスリング部のある高校に行きます』と伝えた」という即断だった。

 自宅のある安中市からだと電車で1時間以上の通学になるにもかかわらず、レスリング部のある前橋西高校を選び、入部時(2015年)からプロレス志望の意思を伝え、プロレスラーへの道を歩み始めた。

 同高レスリング部は、現在の育英大・柳川美麿監督が創部し、当時は2009年に西日本学生王者に輝いた増谷一樹監督(群馬・館林高~関大卒)が指揮していた。20代で、高校生とのスパーリングでも引けをとらない体力と技術があり、かなり厳しい練習だったそうだ。

▲高校時代の安齊勇馬(前列中央)。中列右のレフェリー姿が増谷一樹監督=同監督提供

 安齊は、野球部時代の冬の体力づくりではかなりの練習をこなしており、体力には自信はあったそうだが、「練習についていけませんでした。こんな厳しいスポーツだったのか、と思った」と振り返る。

韓国コーチの厳しい指導に耐えた中大時代

 加えて、キッズ・レスリング全盛の折、高校入学後にレスリングを始めた選手では、キッズ時代からの強豪と大きな実力差があった。それでも増谷監督の指導と、「レスリングが好きで入った」という気持ちがあったおかげで、ついていくことができ、2年生のときに県代表になってインターハイ出場などを果たした。

 県大会優勝は「選手数も多くなかったので、運によるところもあったと思います」と謙遜するが、「自分なりに最善の努力はしたと思います」と言う2年半。

 増谷監督は「手脚が長く、体型的に有利な面がありました。2年生で県代表になり、関東高校選抜大会で3位。キッズ出身選手とは差があったので高校時代での全国一は厳しくとも、大学まで続ければトップに行ける素材だったと思います」と話し、中大へ送って、プロレスへ行く前にひと花咲かせてくれることを期待した。

 当時の中大は、韓国の李正根コーチが(1986年アジア大会王者)が指導していた。鉄拳制裁も珍しくなかった時代に強くなった選手。さすがに手や足は出なかったが、練習は厳しかった。練習量が必要とされる高校と違い、大学は2時間~2時間半と時間を決めて質を求める練習が普通。安齊は「中大の練習はそうだ、と聞いていましたが、4時間とかやるときもあったんです」と笑う。

▲安齊に世界レベルのレスリング・テクニックを指導した李正根コーチ=写真は2023年2月、韓国のコーチとして来日したとき

 しかし、教えてくれる技は世界レベルの技。世界選手権の動画もよく見せられたが、「世界のトップ選手がみんな使っているハイレベルの技が多かったです」と言う。もちろん簡単にはできず、李コーチの怒号が飛ぶこともあったようだが、できると、親指を立てて「アンザイ、グッド!」と笑顔を見せてくれた。それがうれしく、そのサインをもらうために頑張ったと言う。

肉体改造が進んだコロナ禍でのトレーニング

 2年生(2019年)の東日本学生秋季新人選手権で両スタイル3位に入賞。キッズ時代からやってきた選手と肩を並べつつあったが、これから、というときにコロナ禍に襲われ、チーム練習ができない状況へ。だが、人生は何が幸いするか分からない。

 それまでは、プロレスラーを目指して筋力トレーニングをしっかりやり、食事も十分に摂っていたが、マット練習で多くのエネルギーを使うためか、体が大きくならなかったそうだ。「身長188㌢、体重82kgでは、細くてプロレスラーとしては通じない。プロレスの夢はあきらめて、教員かな」と思いかけた矢先のコロナ禍。

 チームの全体練習ができず、帰省して個人でウェートトレーニングに専念すると、体が大きくなっていくのが分かった。「もう一度、プロレスの夢を追ってみようか」と思い、1日8食で計10合の米を食べるなどの増量も試みると、順調に体重が増えた。

▲2019年東日本学生秋季選手権・新人戦の男子フリースタイル92kg級で3位入賞の安齊(右から2人目)

 82kg程度だった体重は、1年後に105kgを越えた。脂肪だけで体重が増えたのではなく、筋肉も十分についての体重増加。「プロレスラーへの夢が戻ってきました。コロナがなければ、プロレス入りはなかったかもしれません」と言う。

 プロレスを見始めたときの憧れは新日本プロレスだったが、中大レスリング部の先輩の諏訪魔(本名諏訪間幸平=2003年世界選手権代表のスカウトがあり、全日本プロレスへ。そこはジャンボ鶴田が活躍したリング。「鶴田二世」として台頭するにはぴったりの環境に進み、プロレスラーへの道を歩み始めた。

▲1975年全日本選手権に来場したジャンボ鶴田(右)。ザ・デストロイヤー(左)とプロとアマの違いを実演した・中央は日本協会・八田一朗会長(当時)=撮影・山内猛

《続く》







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