2024年風間杯全国高校選抜大会の個人戦で、最大の“穴馬優勝”は、71kg級の堤大智(岐阜・高山西)だろう。高校入学後に全国優勝のタイトルがないのは55kg級の山鹿辰士(秋田・秋田商2年)もそうだが、山鹿は東北予選を1位で通過したのに対し、堤は東海予選3位の1年生(4月から2年生)。そのときは、優勝した選手にテクニカルスペリオリティで敗れていた。全国制覇を予想していた人は皆無だったのではないか。
堤は「うれしい。タックルが決まるか不安が大きかったけど、練習でやってきたことを出すことができて、全試合、自分の技を出して勝つことができました。このままインターハイへ向かいたい」と声を弾ませる。
高校へ進んで80kg級に上げた階級を71kg級に戻した。グレコローマン80kgで出場した出場したU17アジア選手権で、海外の重量級の選手の骨格のよさに接し、パワーを落とさずに71kg級に活路を求め、それがあたった形。6試合すべてでフォール、またはテクニカルスペリオリティでの勝利が、階級ダウンの成功を物語っていると言えよう。
2回戦の相手が昨年の国体3位の選手で、最初のヤマと思っていたそうだが、「試合になったら集中できて、自分のレスリングができました」と言う。そのあとは、丹後緑風(京都)、自由ヶ丘学園(東京)、鳥栖工(佐賀)と、学校対抗戦の上位チームとの対戦が続き、名前に圧倒されてもおかしくない状況。試合前は、「無理やわな…」という気持ちもあったそうだが、「追い込んだ練習をやってきたことが、よかったんだと思います」と勝因を分析した。
幼稚園から高山市の体操&レスリング教室「マイスポーツ」でレスリングを始め、小学校6年生と中学3年生で全国優勝の経験がある。ともに、最終学年での全国一だが、今回は1年生にしての優勝。「優勝への強い気持ちを持っていた?」との問いに、「そうですね」とうなずいた。
強豪チームの場合、関東や関西の強豪大学の練習に参加させてもらい、強化をはかるのが普通。高山西は、そこまではやっておらず、自チームでの練習のほかは県内高校との練習。大学は、同県内にある中京学院大の練習に加わることがある程度だ。
こうした練習環境の中で実力をつけた要因に、同高の洞口幸太監督は「一環強化による積み重ね」を挙げる。同高にはレスリング場はなく、マイスポーツが練習場所。ここで汗を流したキッズ選手が、高校へ進んで、かつての本拠地で練習する形。ごくたまにマイスポーツ以外からの生徒が入部することがあるが、基本は一貫強化。その選手に合った指導ができるメリットがあり、同監督はそれがひとつの要因と分析する。
一貫強化というと、レスリングのエリートづくりのようにも聞こえるが、決してそんなことはなく、レスリング以外のスポーツをすることも妨げない。堤は柔道も経験し、冬はスキーに熱中。レスリング一筋ではなかった。それもあって、小中学校の低学年から連覇するエリートではなかったが、レスリングに特化しない体づくりが花開いたのかもしれない。
キッズ時代に指導していたマイスポーツの洞口善幸代表は、堤を「体幹がしっかりしていて、倒されることが少なかった。積極的に攻めて相手を倒すことも少なかったけど…」と振り返る。決して率先して練習する選手ではなく、どちらかというと“のんびりタイプ”。だが、幼少の頃は負荷をかければいいものではない。
キッズ・レスリングが盛んになり、選手に過度の期待と厳しさを求める保護者や指導者、そこから来る燃え尽き症候群の問題が起こって久しい。その選手の性格や成長に合わせた練習をさせることが必要。同代表は「がむしゃらが、すべてではない」と言い、洞口監督も同調する。レスリングを嫌いにするような一貫強化ではなかったことが、堤の栄光につながったのだろう。
堤は「(高校は)あと2年間あるので、しっかり鍛えたい。次は4月のJOCジュニアオリンピック(U17)で優勝し、世界選手権でメダルを取ることを目標に練習したい。大学へ行っても通用する選手を目指したい」と、“のんびり”を返上。国際舞台で通じる選手へ向けてエンジンがかかってきた。
飛騨の小京都とも呼ばれる高山市は、2005年の大合併によって、大阪府や香川県より広い日本一の面積を誇る市となった。「日本一広い市」から、世界一を手にする選手が生まれるか-。