(文・写真=ジャーナリスト 粟野仁雄)
「ママでも金」とは、柔道でオリンピックを連覇した谷亮子さんの言葉だったが、女子レスリングでそれを目指す金城梨紗子(サントリー)が見せ場を作った。
2024年明治杯全日本選抜選手権最終日。3連覇を目指したパリ・オリンピックの代表こそ逸したが、10月の非オリンピック階級世界選手権(アルバニア)の59kg級代表を決めるプレーオフが最後に行われた。金城の相手は18歳で前年のU17世界選手権を制している尾西桜(日体大)。
金城は第1ピリオドにバックを取られたり、コーションを取られるなどで5点先取され、第2ピリオドに入っても加点されて0ー6。苦しい試合展開となった。金城はこの日、トーナメントの準決勝で尾西に敗れていた。4月のアジア選手権も敗れており(3位)、オリンピック連覇ヒロインもさすがに衰えたか、とも感じさせた。
だが、それで終わる選手ではない。鋭くバックを取り、グランドから相手を転がして追い上げる。残り1分で4-6。十数秒しかなくなったとき、金城は満を持したタックルからバックを取り6―6の同点へ。しかし終了時に押し出され、痛恨の1ポイントを取られて終わったかに見え、掲示板には尾西のポイントが加わった。
金浜良コーチからのチャレンジ。ビデオ判定で「押し出し」はタイムオーバーと判明、金城の勝ちとなった。
「第1ピリオドで5点取られてちょっと難しいかなと思ったけど、諦めなかった。気持ちだけでした。残り1分からだと体力のこともあるので、反撃は30秒になってからにしました」と振り返った。そんな冷静さが保てるのも経験値からだ。
妹・友香子は今年1月に総合格闘家と結婚し、恒村姓に変わった。この大会では65kg級に臨んだが、森川美和(ALSOK)に敗れ、ひざを痛めて順位決定戦は棄権。最終日は姉のウォーミングアップの相手を務め、決勝はセコンドに入った。
金城の立て直しはインターバルタイムだった。セコンドの妹からは「絶対いけるから」と檄(げき)が飛び、視線の向こう側のスタンドには母の顔が見えた。無言だったが、その表情から「まだいける。しっかり3分闘いなさい」と言われた気がした。
「やり切ろうと思った。必死でした。技術はあっても、ああいう(尾西の)若さ、勢いが必要ということを相手に実感させてもらった。それを上回る気持ちでやっていた」と明かした。
東京オリンピック以来、3年ぶりの国際大会だった4月のアジア選手権で負けたが、「思ったよりやれたかなと感じた」という。優勝したらきれいな引き時かとも考えたが、負けてしまった。母と話していて「それって続けろということじゃないの」と言われた。同じ気持ちになった。「負けたことに意味を持たせようとした」という。
様々な思いが導いた「意義付け」が11歳も年下の相手の勢いを土壇場で封じていた。
この日、石川県出身の岡田愛生(東洋大=20歳)も53kg級で初優勝した。大相撲でも、同県出身の大の里が新入幕7場所の最短記録で優勝する快挙。
金沢市に近い津幡町出身の金城は「私が勝って被災者を励ます、なんて偉そうなことは言えないけど…」と故郷に思いを馳せた。
「(11月で)30になるけど、まだできる、という気持ちで闘っています。いつが最後になってもいいように。世界選手権はどこまで行けるか、楽しみというより『闘うぞ』という気持ちです」。
そして「東京オリンピックの前の方が、何百倍もきつかった」と、オリンピック4連覇の伊調馨との熾烈な東京オリンピック代表争いを引き合いにした。
「あれを経験しているから、それより難しいものなどないのかなあと思えるんです」などと取り囲んだ記者に話していると、幼児の泣き声がした。友香子選手が連れてきた2歳の娘さんの声だった。しゃがんで「こっちおいでよ」と声をかけるが、大勢の記者が怖いのかしばらく寄ってこない。「抱っこするのは、今日初めてです」と愛娘を抱え上げると「59kgの相手よりずっと軽い」と笑わせて会見場を後にした。
76kg級の鏡優翔が棄権したことで、オリンピック代表が一人も出場せず、やや寂しかった明治杯の会場を最後に沸かせたのは、やはりこの千両役者だった。