(文・撮影=布施鋼治)
最大の懸念材料だった減量はうまくいった。しかし…。
6月6日、ハンガリーの首都ブタペストで行なわれた世界レスリング連盟(UWW)のランキング大会「イムレ・ポリヤク&ヤノス・バルガ国際大会」の初日、男子フリースタイル57kg級は樋口黎(ミキハウス)が3試合連続テクニカルスペリオリティ勝ちで優勝した。
リミットより2㎏上の59kgまでの計量が認められたオリンピック前哨戦ともいえる大会。大会前日の調整を見る限り、樋口は順調に減量に成功している様子だった。
しかし、翌日になると容体が急変。一時は熱が38.2度まで上がるなどコンディション不良に悩まされた。思い当たるふしはあった。往路の飛行機内ではマスクなしで過ごしたという。典型的な風邪の症状だった。
帰国後の会見で、樋口は反省の弁を述べた。「パリに行くときにはマスクを持っていきます」
優勝直後にはこんなことも言っている。「減量と試合のことばかり気になっていた。今まで、試合時に体調が悪いということはほとんどなかった。風邪の対策など体調を気づかうことにもう少し気を配るべきだと思いました」
「一時は出るか否か迷った」というのもうなずけるが、最終的に樋口は出場に踏み切った。理由はひとつ。オリンピック本番で似たようなシチュエーションに遭遇する可能性を捨て切れなかったからだ。
「オリンピック本番だったら、(負けたときの)言い訳はできない。今回は、オリンピック本番だと思って臨みました」
最大の試練は、昨年の欧州王者アリアッバス・ルザザデ(アゼルバイジャン)との準決勝で訪れた。第1ピリオド開始早々、ルザザデの片足タックルからの再三に渡るローリングによって、いきなり8点も奪われてしまった。
「全然集中できていなかった」
グレコローマンのルールなら、この時点でテクニカルスペリオリティ負けになっている点差である。その一方で、どんな結果になったとしても、その結果を受け止めなければならないことも分かっていた。
「それも含めての実力なので」
いきなり王手を仕掛けられた感もあったが、当の樋口は意外なほど冷静だった。
「まったく慌てることなく、ひとつずつ返していこうと思いました。そういった意味では、メンタルの面でもよかった」
その言葉通り、逆襲に転じ、左右のローリングによって逆転。すぐに8点差をはね返し、ダブルスコア以上(19-8)になるまでルザザデを回し続けた。この時点では、高熱のことなどつゆほども知らされていなかっただけに、樋口の底力にうなるしかなかった。
その勢いで、決勝ではスタミナとしぶとい試合運びには定評のあるアマン(インド)を逆に疲れさせるほどの内容で完勝した。この日の樋口には、体調が悪くても持久戦に持ち込めるだけのスタミナが残されていた。
ワンサイド(一方的な試合)でアマンを下す一方で、樋口はオリンピックに向け自分がマークされている存在であることを肌で感じた。
「簡単に片足を触らせてくれなかった。まあ、相手うんぬんより自分のパフォーマンスが悪かったので、まずはそこを修正しないと」
第一の敵は、目の前の対戦相手であることは誰にでも共通する。しかしながら、57㎏級でも抜きん出た存在になりつつある現在の樋口は、それ以上に“自分との闘い”が、もうひとつの大きな敵であるような気がしてならない。
「パリまでにあと2㎏。もうちょっと脱水の幅を抑えながら、しっかりと体脂肪を削っていかないといけない。今朝も、足がつりそうな気配は若干あったので」
敵は、己の中に潜んでいる。