かつて日本を凌駕し、男子グレコローマンではアジア最強と言える地位を確立した韓国レスリングの地盤沈下が止まらない。8月のパリ・オリンピックでは、男子グレコローマン97kg級のキム・スンジュンと130kg級のイ・スンチャンの2選手がアジア予選を勝ち抜いて出場枠を取ったものの、男子フリースタイルと女子は2大会連続で出場なし。
2013・17年に世界を制した67kg級のリュ・ハンス(柳漢壽=36歳)は、4月のアジア予選(キルギス)で出場枠が取れず、続いて5月初めの世界最終予選(トルコ)に出場。1回戦でフィンランド選手に敗れて3大会連続オリンピック出場の夢が絶たれた。
リュ・ハンスは、韓国のソウル新聞の取材に答え、現役引退を明らかにするとともに、「悔しさを忘れず、(自分の経験を)後輩のために役立てます」と、韓国レスリング再建への意欲を話した。(参考文献=ソウル新聞)
リュ・ハンスは、2013・17年の世界選手権で優勝し、また2010・14年のアジア大会、2015・19~21年のアジア選手権で優勝した強豪選手。韓国レスリング界には、オリンピック、世界選手権、アジア大会、アジア選手権のシニア4大会(シニア・グランドスラム)を制した選手が3人いて、その偉業を目指したが、2016年リオデジャネイロ大会は5位、2021年東京大会は7位に終わった。
東京大会の時点で33歳だったが、同い年で、目標でもあったキム・ヒョンウ(金炫雨=77kg級、2012年ロンドン大会を含めてシニア・グランドスラムを達成)とともにパリ大会を目指した。キムは昨年のアジア大会(中国)で5位に終わり、燃え尽きたが、グランドスラムへの思いを持っていたリュ・ハンスは最後の挑戦を選んだ。
「オリンピックの夢は簡単に消えませんでした。 後悔を残さないために再挑戦しました」。闘う相手は10歳以上も年下の選手がほとんど。アジア予選の初戦は、14歳年下の曽我部京太郎(ALSOK)が相手で、1分57秒、0-9のテクニカルスペリオリティで敗れた。しかも、ろっ骨を骨折してしまった。
それでも世界最終予選に出場した。「他の人が99%不可能と断言しても、1%の可能性があれば、それを信じて挑戦するのがエリートスポーツ選手だと思います。 やってみなければ分かりません。私は、いつも自分に『勝てる』と言い聞かせていたので、今回の挑戦も勝つことを疑いませんでした。 パリのマットに立てれば、金メダルを取れたと今でも固く信じています」
悔いは残ったが、マットを去るときがやってきた。ナショナルチームの常設練習場である鎭川選手村を出たとき、「必死に練習した場所です。もう戻ることがない、と思うと、不思議な気分になりました。 (苦しさから解放されて)うれしいような、悲しいような…。涙が出るほど過酷だった練習も、今は懐かしさでいっぱいです」と万感の思いがこみ上げてきたと言う。
選手村での部屋は12階で、自宅は15階。今でも、自宅マンションに帰ると「エレベーターで12階のボタンを押してしまう」と言う。
2010年代の韓国レスリングを支えたキム・ヒョンウとリュ・ハンスの引退とともに、韓国レスリング界はさらに暗黒の時代に突入しそう。
男子グレコローマンで銅2個のみだった昨年のアジア大会(中国)に出場した男子選手は、35歳だったリュ・ハンスを筆頭に30歳前後の選手ばかり。パリ大会に出る97kg級のキム・セウンギュンは29歳、130kg級のイ・セウンチャンは28歳。若い強豪選手がいないため、「昔の名前が出ています」状態だ。
指導に回るリュ・ハンスは、大きな変化を引き出すため、「方向転換をする時だ」と主張する。「竹は、地面を固めて根を張るのに4~5年かかり、その後、ぐんぐん成長するそうです。 私たちのレスリングもそのような期間が必要です。 短期間で強豪選手を作ろうとせず、時間をかけてしっかりとした基盤をつくることが必要です」と力説する。
「指導者たちがもっと苦労しなければなりません」とも話し、「私たちのレスリングは、必ず再上昇すると信じています」と力強く言い切った。
1964年東京オリンピックから30年がたった1990年代、日本の男子レスリングは不振にあえいでいた。オリンピックのメダル獲得の伝統こそ続いていたが、世界選手権は1991年からの9大会中、メダルを取ったのは1995年の1大会のみ。そんな状況からはい上がり、「メダルは当たりまえ」となって、パリ・オリンピックの男女の出場選手数はロシア(AIN)、米国に続く3位にまで再浮上した。
韓国の「地元オリンピックから30年後の不振」は日本と同じ状況。リュ・ハンスのような指導者が情熱を燃やし続けることができれば、韓国レスリングは必ず復活の日を迎えるだろう。