【パリ(フランス)、文=布施鋼治】優勝が決まると、文田健一郎(ミキハウス)は笹本睦コーチ(日本オリンピック委員会)に駆け寄り、がっちりと抱き合った。ふたりの努力と苦労を知る者にとっては、感動のワンシーンではないか。
文田は2016年のリオデジャネイロ・オリンピックのとき、太田忍(現プロ格闘家)の練習パートナーとして現地に帯同した。そのとき以来、ずっと一緒にやっている笹本コーチはとっておきのエピソードを披露した。
「僕はオリンピックのメダルを首からかけたこともないし、触ったこともない。金メダルをどうしても(首に)かけたかったので、東京オリンピック前、文田と『かけさせてくれ』という約束をしたけど、銀メダルに終わってしまった。今回ようやく実現した。『お待たせしました』『ありがとう』という会話になりました」
パリ・オリンピック・レスリング競技第2日(8月6日)、男子グレコローマン60㎏級決勝で文田はカオ・リウゴ(曹利国=中国)を4-1で撃破。初のオリンピック金メダリストになった。日本のグレコローマンでは、1984年ロサンゼルス・オリンピック以来、実に40年ぶりの快挙だ。
表彰式後、首にかかった金メダルについて訊くと、文田は相好を崩した。
「メッチャ重たい」
決勝のクライマックスは第1ピリオドに訪れた。パーテールポジションで必死に守ろうとするカオを相手に、文田はローリングを成功させ、2点をもぎとった。
「(リフトではなく)最初から回そうと思っていました。欲をいえば、もう1~2回、回そうと思っていたけど、相手は守りがすごく固かった。もう一回返せなかった時点で、次に自分がパッシブをとられても、きっちりと守り、あとはどんなことがあっても、試合後には自分の手が上がっているような試合をしようと心に決めていました」
有限実行。第2ピリオドにパッシブを受けても、文田はグラウンドを守り抜き、最小失点の1点にとどめた。
「昨日の準決勝までは、ハイブリットというか、守りの中でも攻めが出る展開が多かった。逆に、今日(決勝)はしっかりこらえ、『一回転もさせないぞ』という気持ちが前に出ていたの。パッシブが上がっても(自分に来ても)、冷静に守ることができた。この大会では僕が目指した、自分のレスリングがすべて出たと思う」
事実上の決勝はジョラマン・シャルシェンベコフ(キルギス)との準決勝だったととらえている。このキルギス選手は2022・23年世界王者。昨年の世界選手権決勝では文田と闘い勝利を収めている。文田の投げを警戒して組み合おうとしない選手が多い中、投げ合うことを恐れずに組み合ってきたシャルシェンベコフの闘う姿勢を、文田は「ずっと試合をしていたかった」と称賛していた。
オリンピックに舞台を移してのリベンジマッチ。第1ピリオドにパッシブでリードを許しながら、第2ピリオドになると文田はワンチャンスを見逃さなかった。
組み合った体勢から相手が一歩出てきたタイミングで一気に反り投げを決め、4点のビッグポイントを得て勝負を決めた。「体が勝手に動いていた。そこは、もう考えている状況ではなかった。レスリングをやってきたすべての時間が、準決勝の勝利を作り上げてくれたかなと思います」
試合後、オリンピック金メダリストの道を断たれたシャルシェンベコフは、片ヒザをついたまましばらく立ち上がろうとしなかった。文田は好敵手の元に駆け寄り、涙を拭いながら語りかけた。「明日、(君の思いを背負って闘うことで)2人で勝って、この試合が真の決勝だと言えるようにしよう」
文田はライバルに対する感謝の言葉も口にした。「1年前の世界選手権で負けたので、ここまで自分のレスリングに磨きをかけることができた。だからこそ、リスペクトもしている。その思いも伝えました」
文田のオリンピック金メダル獲得は、レスリング界だけではなく世間にも届き、東京では号外も配布されるほどの影響力を持っていた。この快挙は日本のグレコローマンにどのような影響をもたらすのだろうか。