(文=布施鋼治)
ニッポンの快進撃が止まらない。2024年パリ・オリンピック第5日(8月9日)、男子フリー57㎏級の樋口黎(ミキハウス)が、決勝でスペンサー・リー(米国)を撃破。オリンピックで念願の金メダルを獲得した。
試合後、2大会ぶり2度目のオリンピックで念願の金メダリストとなった男は周囲への感謝を口にした。
「コーチ、監督、仲間。僕を応援してくれた方々がいたおかげで取れた金メダルだと思っている。日本のレスリングの思いを背負ってこのマットに立ちました。日本のフリースタイルが世界一だ、ということを証明できてホッとしています」
樋口といえば、1回戦のマットに上がる前にもうひとつの戦いが待っている。減量だ。
2021年4月、東京オリンピックのアジア予選では50グラムオーバーで痛恨の失格。大きな挫折を味わった。もう同じ轍(てつ)は踏まない。ボディービルダーやフィジークの減量方法をヒントに、樋口は独自の減量方法を編み出した。
「今年6月に2kgオーバーの計量での試合(ランキング戦)があったけど、そこからあまり戻しすぎないようにしていました。オリンピックまで残り1か月半ぐらいで63㎏ぐらいまで落としていました。それから60㎏くらいまでは脂肪で削って、残り3㎏は水抜きでやり切った感じですね」
問題は当日計量をクリアしても、その数時間後からいつも通りのパフォーマンスができるか、どうか。とはいえ、パリでの樋口は大会初日から肌つやは良く、ちょっと前まで減量苦で七転八倒していた選手には見えなかった。初戦は相手の計量失格(放棄)で勝ち進み、続く2回戦と準決勝はいずれもテクニカルスペリオリティで斬って落とした。
翌日の計量のことを考えると、余裕はない。準決勝が終わるや、全力疾走でミックスゾーン(取材エリア)を通りすぎた。代わりに湯元健一コーチ(日体大教)が記者団の前に立ち、コンディションを説明した。
「減量はうまくいっています。1回戦で相手が棄権したことはプラスに。めちゃくちゃプラスになりました。リカバリーの時間が長いと、樋口にとっては有利になるので」
湯元コーチは前日までに、同じ日体大OBで男子グレコローマンで優勝した文田健一郎(ミキハウス)と日下尚(三恵海運)の存在がいい刺激になっていることもつけ加えた。
「樋口にとっては、同級生の文田だけではなく、後輩の日下も優勝している。チーム日体大としても、グレコには負けられない。ともに勝ちたい」
そのときの湯元コーチは、決勝のテーマとして「圧勝」を挙げていたが、実際に決勝で対峙したリーは強敵だった。第1ピリオド、リーは樋口の片足タックルを徹底的に警戒。しっかりとブロックしてテークダウンを許さない。そして2度に渡るステップアウト(場外押し出し)で2-0とリードした。それでも樋口に焦りはなかった。「前半の残り30秒ぐらいで、(相手が)ちょっとずつばててきてるのがわかってたんで」
ハーフタイム中、樋口は作戦を変更した。片足ではなく、両足タックルで攻めようと考えた。そこには緻密な計算があった。
「僕は片足タックルで相手の右足をずっと狙っていた。こちらの右足(のアタック)を向こうが切ると、左足に(重心が)絶対残る。そのタイミングで、左に切り替えて両足を取るっていうふうに決めて入りました」
この作戦がズバリ的中。グラウンドでもつれる展開になっても、樋口は無類の強さを発揮し、上をとる。そんな攻防を2度も見せ、4-2でリーに引導を渡した。
「練習量やスタミナでは、絶対負けないと思っていました」
試合後、樋口は自分より先に金メダリストになった文田についても言及した。
「文田は、シャルシェンベコフ(キルギス)が一番のライバルだと思っていただろうけど、僕は彼(文田)が一番のライバルだと思っている。全国中学生選手権で文田が優勝したとき(2010年)、同じ階級に出場していた僕は悔しい思いもした(3位=直接対戦はなし)。(今回も選手村で)絶対に彼の金メダルは触らないと決めていました。近づきもしなかった」
中学時代まで遡る2人のライバル・ストーリーは、ウィンウィン(両者とも勝利)で幕を閉じた。