1950年に始まり日本最古の歴史を持つ大学の対抗戦、立大と同志社大の第72回定期戦が9月14日、埼玉・立大新座キャンパスの体育館内で行われ、地元の立大が2連敗のあと4連勝。4-3のスコアで4年連続勝利を成し遂げ、通算成績を19勝54敗とした(注=1951年にスタートした早大と慶大の定期戦は、コロナのときも実施していたので、回数では今年が第74回となり、最多となる)。
立大の尾形博監督は冷や汗ものの勝利に「授業の関係もあって、練習時間がしっかりとれない。他の大学の倍の集中力と自主練で補わないと、なかなか勝てないですね」と話し、もっとすんなり勝ってほしいという欲の深さを見せた。だが、1971年から2011年まで41連敗しているほど実力差があったのが、4年連続の勝利を挙げて気持ちはよさそう。「ここから35連勝すればタイになります。勝ちながら、定期戦の灯を絶やさずに続けていきたい」と話し、その実現を目指すという。
同志社大の福田耕治監督は「最初に2連勝しながら、残念な結果になりました。ウチの選手は前に出ていない。積極的に前に出てほしい」と望んだ。72回の歴史については、「ここまで続いたのは立派なこと。お互いに強いとき、弱いときがあったが、それでも続けられたのは、多くの関係者のおかげです」と話し、100回を目指して情熱を燃やし続けてくれることを望んだ。
京都と埼玉で交互に実施していた伝統の定期戦。順番からすれば今年は同志社大での開催だったが、立大の創立150周年の年であり、来年は同志社大の150周年。順番を入れ替え、埼玉開催となった。試合には今泉雄策・日本協会前副会長が、試合には間に合わなかったが、試合後の懇親会に福田富昭・日本協会名誉会長(前日本協会会長)が駆けつけてあいさつ。伝統の一戦の開催を祝った。
創部前の1932年ロサンゼルス・オリンピックに加瀬清が出場している立大は、1938年に部がスタートし、翌1939年、関東学生リーグ戦に早大、慶大、明大、専大に続く5番目の大学として加入。早大や明大の壁の前に優勝はなかったが、1955年東日本学生王座決定戦で3位に入賞。全日本王者や全日本学生王者も誕生した。
1961年に体育会推薦枠が縮小され、1970年には廃止へ。附属の立教高校と一般入試の選手によってかろうじて部が存続したが、ときに部員不足で廃部の危機に直面した。大学の入試改革もあって2003年から復活の道を歩み、2022年東日本学生リーグ戦で二部リーグで優勝。入れ替え戦でも勝ち、61年ぶりの一部リーグ昇格を決めた。
同リーグ戦の改編によって来季は二部リーグでの闘いとなる。入試制度が変わり、秋田・秋田商高や埼玉・花咲徳栄高などの強豪高校からも選手が来るようになっている。前述の尾形監督は「今度は61年かからずに一部復帰を実現させます。5年以内にやりたい」と話す。
同志社大は1945年に創部。1947年に始まった関西学生リーグ戦の当初からのメンバーで、1963年に初優勝。関大と関学大で分け合っていた優勝に初めて他の大学が割って入り、1980年代後半から1990年頃までは常に優勝を争う存在へ。1983~1990年の16季(年2回)で10回リーグ戦を制覇した。この間、大学王者も誕生している。
その後、二部リーグ転落を経験しながらも、2014年秋季に49季ぶりの優勝を達成。2015年は春秋連覇し、2017年春季にも優勝。通算で18度の優勝を誇っている。現在は二部リーグに甘んじているが、栄光復活を目指している。
立大レスリング部OBOG会の西垣内慎史会長(1983年3月卒)は「私の卒業年度の定期戦が32回だった。あれから40回が上積みされ、よくここまで続いた、と感慨深いものがあります」と、しみじみ振り返った。卒業して数年経った頃には部員不足による廃部の危機に面したという。そのときは監督、コーチ、OB、現役部員が一丸となって努力し、支援を受けながら持ちこたえることができたそうで、「部を支えてくださった皆様への感謝の念に堪えません」と話す。
幸い、ここ数年は安定した部員数を確保。その勢いでリーグ戦の一部復帰を目指すとともに、伝統の定期戦が、まず100回まで続くことを望む。「あと28回…。私が92歳のときですね。生きていることを信じています」と苦笑いしながら、その日を待つ。
懇親会では、同志社大の日向弘行・同志社大レスリング部OB会理事長が、今夏のパリ・オリンピックで涙が止まらなかった話を披露した。同大学から出場した選手はいないが、金メダルを取った樋口黎選手(ミキハウス)の妻・優貴さんが東京・安部学院高~同志社大でレスリングをやっていた。
パリで、インタビューを受けている樋口選手のもとに観客席にいた優貴さんが駆け寄ると、樋口選手は妻の首に金メダルをかけてやり、優貴さんの目から大粒の涙がこぼれ、それをテレビカメラがとらえていた。同会長は、そのシーンを見て、もらい泣き。後輩がオリンピックの金メダル獲得に貢献してくれたことが、とてもうれしかったと言う。