新潟・巻農業高校(現巻総合高校)のレスリング部を指揮し、2人のオリンピック選手を育てた橋本敏郎氏が9月27日午後2時16分、誤嚥性肺炎のため死去されました。84歳。通夜・告別式は、家族、元勤務先や新潟県レスリング協会関係者らの近親者で行われました。
同氏は北越商高~明大の出身。1968年メキシコ・オリンピック金メダリストの宗村宗二さんは明大での2年後輩。卒業後は巻農高の監督として長く指導に携わり、1972年ミュンヘン・オリンピック銀メダルの和田喜久夫(明大卒)、1988ソウル&1992年バルセロナ・オリンピック代表の原喜彦(日体大卒=現全国高体連レスリング専門部理事長)を育てた。
林雄一(日体大卒=1994年全日本王者)ら全日本や学生のトップレベルに育った選手は数知れない。新潟工業高校に転勤したあとも、1994年インターハイで皆川達也(専大進学)を2位に入賞させていた。
3年ほど前から体調を崩し、入院生活を送っていた。