1976年モントリオール・オリンピック男子フリースタイル57kg級で銅メダルを取った荒井政雄氏が11月9日、脳梗塞のため死去した。75歳。葬儀・告別式は近親者のみで執り行われた。喪主は長男・叶(かなう)さん。
同氏は山口県出身。キッズクラブ最古参の「斎藤道場」(斎藤憲代表=故人)でレスリングを始め、山口・柳井商工高から国士舘大へ進んで1971年に全日本学生選手権で優勝。1972年のミュンヘン・オリンピックは、同大会で優勝することになる柳田英明の壁を破れずに出場を逃し、一時はマットを去りかけた。
斎藤代表の説得で復帰し、1975年に斎藤道場所属の選手として全日本王者へ。同年の世界選手権では前年の世界王者ウラジーミル・ユーミン(ソ連)を破って優勝。国士舘大選手として、またキッズ・レスリング出身の選手としても初の世界チャンピオンとなった。
翌年のモントリオール・オリンピックでも優勝が期待されたが、ユーミンにリベンジされるなどして銅メダルに終わった。
斎藤道場は1961年、斎藤憲氏が私財を投げ打って自宅に開設した日本最古参のキッズ・クラブ。山梨学院大・小幡邦彦監督の出身クラブで、現在プロレスで活躍している長州力や初代タイガーマスク(佐山聡)も時に通ってレスリングを学んだ道場。現在は勝村靖夫代表(日体大卒=1966年世界選手権2位)のもとで活動を続けている。