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2016.02.05

【特集】逆転のオリンピック出場にかける…男子フリースタイル125kg級・田中哲矢(自衛隊)

(文=樋口郁夫)

 昨年の12月の全日本選手権で、鮮やかな新旧交代が行われた男子フリースタイル125kg級。前年の高校五冠王者の山本泰輝(拓大1年)が世界選手権代表の荒木田進謙(警視庁)を破る殊勲を挙げたが、もうひとつ、2位と3位も“下剋上”が演じられていた。

 全日本の3番手か4番手に位置していた田中哲矢(自衛隊)が、荒木田を追う一番手だった金澤勝利(自衛隊)を初めて撃破。山本の勢いには屈したが、全日本2位になったことでリオデジャネイロ・オリンピックの挑戦権を奪取。出陣の日を期待しつつ、強化に励んでいる。

 「気持ちが違います。アジア選手権(2月17~21日、タイ)に出場させてもらうことにもなり、今はそこに照準を合わせて練習しています」。社会人選抜チームではなく、日本代表として大会に参加することになれば自覚が出てくるのは当然だろう。

 全日本選手権では、準決勝で金澤を2-1で破った。それまでは、公式戦はもちろん、自衛隊内での練習試合でも勝ったことのない壁だった。「自分の構えを3分間崩さないこととプレッシャーのかけ方を意識して練習してきました。それらがやっと試合でできたのかな、と思います」と勝因を分析する。

 以前は、いろんなことをやろうとして、「すべてが中途半端になっていた」と言う。今回はその2つを徹底して練習してきたことが実った。決勝は荒木田が出てこず、「いけるかな?」と思ったそうだが、“邪心”が出てしまうと実力は出せないもの。初の大舞台ということもあって実力を発揮できなかったが、これも経験として培われていくだろう。

■砲丸投げの動きを見た鹿屋中央高・野口次男監督がスカウト!

 レスリングは鹿児島・鹿屋中央高校に進んでから始めた。それまでは野球をやっており、「食べるのが好きだったから」が要因だったのか、体は大きく力もあった。レスリングに誘われたのは陸上の記録会で砲丸投げをしていた際、同高の野口次男監督(当時)から「レスリングに向いている」と声をかけられたことがきっかけ。

 砲丸投げとレスリング…。関連はなさそうに思えるが、野口監督は「上半身と下半身の均整がよかった。身体のバランスがよく、力もあった。砲丸を投げる時の下半身から上半身へのパワーの伝え方がうまかった」と当時を振り返る。足が速く、「レスリングをすれば強くなると思った」と、レスリング選手に必要な要素を感じ取ったという。

 田中は、最初から乗り気だったわけではない。引きつけられたのは、「寮生活が楽しそうだったから」-。現代っ子はプライバシーの少ない生活を敬遠する傾向にあると思われるが、「面白そうだ、って思いました」と笑う。

 ただ、体力はあっても、キッズ・レスリング全盛期の現在、ご多聞にもれず技術的には経験者と大きな差があった。それでも、押したり差したりするパワーは卓越したものがあり、グレコローマンで台頭できた。高校生のグレコローマンはフリースタイルほど技術面で成熟していないので、体力が大きな武器となった。

 インターハイはベスト16で終わったが、全国高校グレコローマン選手権と国体で2位へ。「このままでは終われない」と思い、大東大へ進み、フリースタイルをメーンにして大学王者を目指した。しかし、ここでも2位や3位が多く、学生タイトルとは縁がなく終わった。

 OBに2008年北京オリンピック代表の加藤賢三(自衛隊)がいて、時に練習をつけてくれたが、加藤はグレコローマンの選手。フリースタイル重量級の本格的な技術を教えてもらう機会が少なかったのが現実だった。

■「相手の指を折り曲げるくらいの気持ちで向かっていきます」

 卒業時点でキャリアは7年。「これからが勝負」。選手活動の続行を考え、加藤の縁で自衛隊へ進むことになった。加藤からは「自衛隊の環境は最高だ。やるのなら、本気でやれ」とアドバイスされたという。

 実績が足りなかったので、いきなりの体育学校入隊とはならなかったが、1年後に晴れて正式入隊。その段階で大きな壁だったのが金澤。1年生で大学王者に輝いていた先輩で、「技術で全然勝てませんでした」と言う。その壁に一歩一歩挑み、2年をかけて立場を逆転。一気にオリンピック挑戦権を手にすることができた。

 だが、手放しで喜ぶわけにはいかない。これまでは、国内での壁を破ることが先決で、シニアの国際大会出場の経験がないのが現実だ。今月のアジア選手権がシニア初の国際大会。「正直、不安の方が大きいです」という言葉は、偽らざる心境だろう。

 ここで結果を出さなければ、山本にオリンピック予選3大会のすべてを奪われる可能性もある。「下から差して、相手を浮かせて前に出るレスリングで闘いたい。タックルでポイントを取る形をつくりたい」と作戦を明かし、「相手のパワーがすごくても、相手の指を折り曲げるくらいの気持ちで向かっていきます」と、まず気持ちで負けないことを口にした。アジア選手権での健闘が期待される。

 オリンピック選手をのべ11人輩出した鹿児島県も、2000年シドニー大会の和田貴広(現男子フリースタイル強化委員長)以来、オリンピックのマットに立っていない。鹿児島の全盛期をすぎたあとの選手だった田中も、同県がレスリング王国だったことは聞いている。「伝統を復活させたい」―。薩摩隼人の闘志が爆発する時が来るか。


 







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