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2016.05.25

慶大OB50人が参加し、戦後初のメダリスト・北野祐秀さんをしのぶ会

 今年2月27日に85歳で亡くなった1952年ヘルシンキ・オリンピック銀メダリスト、北野祐秀さんをしのび、慶大レスリング部OB会による「北野祐秀会員を偲ぶ会」が5月24日、東京・銀座にある福澤諭吉ゆかりの「交詢社」で行われた。50人を超えるOBが集まり、戦後初のメダリストのご冥福をあらためて祈った。

 日本のあらゆる競技を通じて戦後初の金メダリストとして、同オリンピック・バンタム級優勝の石井庄八さん(中大OB)が有名だが、時間的に“初のメダリスト”となると、フライ級銀メダルの北野さんになる。

 北野さんの3年先輩という鈴木正博さんは「当時は、オリンピックよりリーグ戦での勝利、という時代でした。北野君もオリンピックには無理に出たくない、気持ちだったみたいです」という意外なエピソードを披露。戦後の混乱期、国全体が目の前のことに必死で、オリンピックのステータスが今ほど高くなかった時代ならではの話だ。

 転機は、一緒に入ったすし店で、新聞で北野さんの顔を知っていた店主から「北野さんですね。オリンピックに出てくださいよ。国家の行事なんですよ」と言われたこと。この言葉で、オリンピック予選に出る気持ちになったという。

 その北野さんが日本国民に希望を与えてから60年経った今年、慶大は東日本学生リーグ戦の二部リーグで優勝。入れ替え戦でも勝って、来年の45年ぶりの一部復帰を決めた。鈴木さんは「北野君がいたら、どうしても言いいたかっただろうことを伝えたい。『浪山監督、一部昇格おめでとうございます』。絶対にそう言うと思います。浪山監督をみんなで盛り立て、一部に定着してほしいと思います」と、北野さんに代わって現役チームを激励した。

 北野さんと同期の滝川雄三さんは「ヘルシンキ・オリンピックでは、水泳の古橋(広之進)さんと橋爪(四郎)さんへの期待が大きく、レスリングへの注目は少なかった。帰国した時は羽田空港で大歓迎された。慶大レスリング部のみならず、日本レスリング界への功績は大きい」と思い出を振り返った。

 さらに、「北野さんは現役を続け、国内では負け知らずだった。その頃、慶應は早稲田に負けたことはなかった」と、慶大黄金時代の立役者だったことを強調した。

 OB会の大津信行会長は「先輩が亡くなった年に一部復帰を決めたというのは、縁を感じます。こうしてOBが集まれる機会をつくり、OBの団結に力を貸してくれたのだと思います」と話す。同時に、「来年は(一部リーグで)本当に厳しい闘いになる。北野先輩の遺志にこたえられるよう、頑張りたい」と気を引き締めた。

 なお、北野さんが持っていた銀メダルは、このあと慶大に寄贈され、慶應義塾福澤研究センターに展示されるという。

浪山和義監督(左端)を激励する北野さんの3年先輩の鈴木正博さん(中央)と同期の滝川雄三さん

北野さんのアルバムを背に、丸山充信・日本協会前理事と献杯の音頭を取った今井清吉さん


 







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