五輪・世界チャンピオン

石井 庄八(いしい・しょうはち=Shohachi Ishii)

日本が戦後初めて参加したオリンピックが、1952年のヘルシンキ五輪。に選手を派遣したが、レスリング・バンタム級の石井が唯一金メダルを獲得した。レスリングでは他に、フライ級の北野祐秀が銀メダル、他の選手も全員6位入賞を果たす輝かしい成績を残した。

日本レスリングの輝かしいスタートであるとともに、敗戦に打ちひしがれていた国民に大きな夢と希望を与える勝利で、石井は間違いなく国民的英雄の1人だった。

生年月日、出身  
所 属 中大
全日本選手権成績 50年=2位、51年=優勝
五輪・世界選手権成績 52年ヘルシンキ五輪=優勝(フリー・バンタム級)


笹原 正三(ささはら・しょうぞう=Shozo Sasahara)

1952年ヘルシンキ五輪で戦後初の金メダルを取ったレスリングだが、「偶然」で片付けられないためにも、伝統を引き継がねばならなかった。その重責を果たしたのがフェザー級の笹原正三だった。54年に東京で行われた世界選手権で圧倒的強さで優勝。

その後も55年のワルシャワ国際大会、56年のワールドカップと優勝を重ね、得意技の「またさき」は世界にとどろいた。56年メルボルン五輪では、「金メダル間違いなし」というムード。このプレッシャーと他国からの研究の前に、5試合すべて判定勝ちという内容だったが、全国民の期待につぶされることなく、予定どおり金メダルを取った実力と精神力は、最大級の賛辞で語り継がれるべき殊勲だった。

1989年4月から2003年3月まで日本協会の会長を務めた。

生年月日、出身 1929年7月28日、山形県出身
所 属 山形・山形商高~中大
全日本選手権成績 53年=優勝、54年=優勝、56年優勝(以上フリー・フェザー級)
五輪・世界選手権成績 54年=優勝、56年メルボルン五輪優勝(以上フリー・フェザー級)


池田 三男(いけだ・みつお=Mistuo Ikeda)

軽中量級で伝統を築いた日本レスリングだが、五輪の金メダル第2号(時間差で同じ大会で金メダルを取った笹原正三より早い)はメルボルン五輪ウエルター級(74kg級)の池田だった。寝技でレッグホールド、スタンド技で首投げという独特の技を持ち、五輪では強豪を次々と破り、最終日の午後を待たずに優勝を決めた。

まだ敗戦ムードの残る日本に明るい話題をもたらすとともに、ヘルシンキ五輪で金メダルを取った日本レスリングの力が偶然でなかったことを証明、輝かしい伝統を築き上げる基礎となった価値ある金メダルだった。

生年月日、出身 1935年10月14日、北海道出身
所 属 北海道・増毛高~中大(世界王者時)
全日本選手権成績 53年=優勝(ウエルター級)、54年=優勝(ミドル級)55年=優勝、56年=優勝(以上フリー・ウエルター級)
五輪・世界選手権成績 56年メルボルン五輪=優勝(フリー・ウエルター級)


渡辺 長武(わたなべ・おさむ=Osamu Watanabe)

ローマ五輪で金メダルなしに終わった日本レスリング。東京五輪へ向けて怒とうのパワーを発揮したのが、フリー・フェザー級の渡辺長武だ。61年ソ連・欧州遠征の全勝を皮切りに、62年の全米オープン選手権、世界選手権、アジア大会、63年の日ソ対抗戦、世界選手権、マンチェスター国際大会、64年のソ連・東欧遠征と無敗の快進撃を続けた。

その強さを“アニマル”、技の正確さを“スイス・ウォッチ”と評され、東京五輪での金メダル獲得は間違いなしといわれた。このプレッシャーにもめげず、見事に金メダルを獲得。世界選手権と合わせ3年連続世界一の偉業を達成した。この間にマークした「186連勝」はギネスブックに掲載された。

生年月日、出身 1940年10月21日、北海道出身
所 属 北海道・士別高~中大
全日本選手権成績 60年=優勝、61年=優勝、62年=優勝、63年=優勝、64年=優勝(以上フリー・フェザー級)
五輪・世界選手権成績 62年=優勝、63年=優勝、64年東京五輪=優勝(以上フリー・フェザー級)


市口 政光(いちぐち・まさみつ=Masamistu Ichiguchi)

1964年東京五輪での金メダル獲得のフリースタイルの切り札が渡辺長武なら、グレコローマンは市口政光だった。1960年ローマ五輪では順位がつかずに消えたが、1962年の全米オープン選手権で勝ち、同年の世界選手権でも優勝。歴史の浅い日本のグレコローマンを世界で認めさせた価値ある勝利だった。

関大出身。関西の期待を一身に背負って出場した東京五輪では、他国の強豪が軒並み敗れる中、圧倒的強さで勝ち上がり、決勝リーグを実施することなく優勝が決定。飛びぬけた実力で金メダルに輝いた。

生年月日、出身 1940年1月12日
所 属   
全日本選手権成績 61年=優勝、62年=優勝、63年=優勝、64年=優勝(以上グレコ・バンタム級)
五輪・世界選手権成績 60年ローマ五輪=5回戦敗退、61年=2回戦敗退、62年=優勝、64年東京五輪=優勝(以上グレコ・バンタム級)


堀内 岩雄(ほりうち・いわお=Iwao Horiuchi)

1964年東京五輪での金メダル獲得へ向けて盛り上がっていた日本レスリング界。五輪前年の1963年世界選手権フリー・ライト級で優勝し、そのムードをいっそう盛り上げた。世界選手権初出場で優勝するあたりに、当時の日本レスリングの強さがうかがえる。

しかし東京五輪では銅メダル。もっとも試合では負けていない。当時のバッドマークシステムという方式は、持ち点が0になったら終わり。判定勝ちでも「マイナス1」となり、5回戦で判定勝ちしたあと、持ち点がなくなった。4勝1引き分けという内容で無念の3位。

日本レスリングが金5個をとり、「金でなければメダルでない」とまでいわれた中で、存在感が薄れてしまったのは無念。その後、1966年世界選手権でも銀メダルを獲得し意地を見せた。

生年月日、出身 1941年12月9日、富山県出身
所 属 日大
全日本選手権成績 62年=3位、63年=優勝、64年=優勝
五輪・世界選手権成績 63年=優勝、64年東京五輪=3位、65年=6位、66年=2位(以上フリー・ライト級)


吉田 義勝(よしだ・よしかつ=Yoshikatsu Yoshida)

のちにフライ級(52kg級)で強さを見せた日本レスリングだが、1964年東京五輪まではソ連、トルコ、イランの前に世界一を輩出できないでいた。特にアリ・アリエフ(ソ連)には、どの大会でもだれも勝てず、アリエフ打倒が東京五輪の課題だった。

これを達成したのが国内の並みいる強豪を退けて五輪代表となった吉田。予選リーグでのアリエフの試合を研究するうちに、あるくせを発見。これで打倒アリエフを果たし、決勝も韓国選手に圧勝。東京五輪金メダル軍団最初の金メダルを決め、あとにつなげた。

生年月日、出身 1941年10月30日、
所 属 日大
全日本選手権成績 63年=2位、64年=優勝、67年=優勝(以上フリー・フライ級)
五輪・世界選手権成績 64年東京五輪=優勝(フリー・フライ級)


上武 洋次郎(うえたけ・ようじろう=Yojiro Uetake)

1964年東京五輪での“秘密兵器”となったのが、米国オクラホマ州立大に留学していた上武だった。いわゆる国際大会は1度も経験していないが、米国仕込みのスピーディーな技に期待が集まった。

ふたを開けてみれば、国際大会未経験など全く問題なかった。決勝ではアクバシュ(トルコ)に1ポイントをリードされ、しかも左肩を半脱きゅうするアクシデントもあったが、最後のチャンスに捨て身のタックル。これで相手を横転させ2-1と劇的な逆転勝利。日本勢3個目の金メダルを獲得した。

その後、1964~66年に全米学生選手権(NCAA)で優勝。のちに全米学生レスリングの1960年代のベストレスラーに選ばれる活躍。メキシコ五輪でも、1階級上げてきた“怪物”アリエフ(ソ連)を退け、決勝のイラン戦では脱きゅうぐせが出て何度もポイントをリードされる苦戦をしいられたが、最後は引き分けに持ち込み、五輪二連覇を達成した。

生年月日、出身 1943年1月12日、群馬県出身
所 属 群馬・館林高~早大~米国オクラホマ州立大
全日本選手権成績 64年=優勝、67年=優勝(以上フリー・バンタム級)
五輪・世界選手権成績 64年東京五輪=優勝、68年メキシコ五輪=優勝(以上フリー・バンタム級)


花原 勉(はなはら・つとむ=Tsutomu Hanahara

柔道が伝統の日本では、体の小さな選手が当時階級制でなかった柔道からレスリングに転向することが多かった。体力と格闘能力にすぐれた彼らは、レスリングの軽量級で力を発揮。花原は「体の小さな自分でも柔道の大男と対等の試合ができた。体重、体格に差がないレスリングで、負けるはずがない」と自信を持ち、同じ柔道からの転向組の市口政光とともに、東京五輪で金メダルを獲得した。

その後、日本レスリング界にさん然と輝く伝統を築いた日体大の礎ともなった価値ある金メダル獲得だった。

生年月日、出身 1940年1月3日、山口県出身
所 属 山口・豊浦高~日体大
全日本選手権成績 60年=優勝、62年=優勝、63年=優勝、64年=優勝(以上グレコ・フライ級)、65年=優勝、67年=2位(以上グレコ・バンタム級)
五輪・世界選手権成績 61年=6位、64年東京五輪=優勝(以上グレコ・フライ級)、67年=3位(グレコ・バンタム級)


吉田 嘉久(よしだ・よしひさ=Yoshihisa Yoshida)

64年東京五輪で金メダル5個を獲得した日本レスリングは、翌65年、ほとんどの階級で選手が入れ替わって世界選手権に出場した。フリー・フライ級は学生の吉田だが、東京五輪最終選考会2位の実力は本物で、見事に金メダルを獲得。「日本のナンバー2は、世界のナンバー2」を証明した。

生年月日、出身   
所 属 法大
全日本選手権成績 64年2位、65年優勝(以上フリー・フライ級)
五輪・世界選手権成績 65年=優勝(フリー・フライ級)


福田 富昭(ふくだ・とみあき=Tomiaki Fukuda)

64年東京五輪へ向けての数十回にわたる合宿・海外遠征は、最終的に五輪代表選手に選ばれた選手以外の実力向上にも役立った。フリー・バンタム級で五輪金メダルを取った上武要次郎の陰で無念の涙をのんだ福田は、翌65年の世界選手権に初出場。18歳で世界王者になった天才レスラーのフセイン・アクバシュ(トルコ)を破り、その勢いで決勝のイラン戦にも勝って世界一の座を奪取。この階級の伝統を守った。

当時の日本レスリングは、世界選手権に初出場初優勝は珍しくなかった。「日本のナンバー2は、世界のナンバー2」と言われたよき時代だった。

2003年4月から日本協会の会長を務めている。

生年月日、出身 1941年12月19日、東京都出身
所 属 富山・滑川高~日大
全日本選手権成績 64年=3位、65年=優勝(以上フリー・バンタム級)
五輪・世界選手権成績 65年=優勝(フリー・バンタム級)


金子 正明(かねこ・まさあき=Masaaki Kaneko)

攻撃精神をモットーとし、王国を築いた“八田レスリング”。その八田一朗会長の教えに逆らい、守りを徹底的に重視し、五輪を含めて3度世界一に輝いたのがフリー・フェザー級の金子だ。バンタム級で64年東京五輪を狙っていたが、無念の涙。五輪後1階級アップすると、圧倒的な強さで全日本、アジア、世界を制していった。

68年メキシコ五輪時、金子は28歳で妻子持ち。現在では珍しくないが、当時は家庭を持ったこの年齢まで競技を続ける例はあまりなく、すべてをかけての闘いだった。世界を2度も制していたが、五輪での金メダルは格別なようで、表彰台では大粒の涙にくれ、感激に浸っていた。

生年月日、出身 1940年7月8日、
所 属 専大~自衛隊(メキシコ五輪時)
全日本選手権成績 63年=2位(フリー・バンタム級)、65年=優勝、66年=優勝(以上フリー・フェザー級)
五輪・世界選手権成績 66年=優勝、67年=優勝、68年メキシコ五輪=優勝(以上フリー・フェザー級)


中田 茂男(なかた・しげお=Shigeo Nakata)

64年東京五輪で吉田義勝が金、65年世界選手権で吉田嘉久が金、66年世界選手権で勝村靖夫が銀と伝統を作ったフリー・フライ級。中田の出現で新たな伝統を積み上げた。

66年アジア大会優勝で自信をつけると、67年世界選手権でも優勝。68年メキシコ五輪でも、2位の米国選手に大差判定勝ち、3位のモンゴル選手にフォール勝ちという圧倒的な強さで優勝した。過酷な減量を乗り越えての勝利だけに、その健闘が称えられる。

生年月日、出身 1945年10月16日、北海道出身
所 属 中大~自衛隊(メキシコ五輪時)
全日本選手権成績 65年=2位、66年=優勝(以上フリー・フライ級)、71年=2位(フリー・バンタム級)
五輪・世界選手権成績 67年=優勝、68年メキシコ五輪=優勝(以上フリー・フライ級)


宗村 宗二(むねむら・むねじ=Muneji Munemura)

東京五輪の最終予選で優勝しながら、国際試合の実績不足、攻撃力の甘さを指摘され、同五輪の代表を逃した屈辱を持つ。この悔しさをばねにその後の4年間、努力を重ね、68年メキシコ五輪でメーンポールに日の丸を上げた。もろ差しからの攻撃の強さは抜群だったが、それ以上に防御も強かった。

八田一朗会長はよく「夢の中で勝て」と教えたが、五輪の最終日の前夜は夢の中で巨大ガエルに遭遇。負けることなくつかまえ、師の教えを実践しての金メダル獲得だった。

生年月日、出身 1943年9月1日、新潟県出身
所 属 新潟・巻農高~明大~大谷運輸(メキシコ五輪時)
全日本選手権成績 64年=優勝、65年=優勝、66年=優勝、67年=優勝(以上ライト級)
五輪・世界選手権成績 65年=4位、66年=4位、68年メキシコ五輪=優勝(以上グレコ・ライト級)


田中 忠道(たなか・ただみち=Tadamichi Tanaka

1964年東京五輪の遺産を見事に受け継いだ68年メキシコ五輪。その後の新たな4年間を占う最初の年に世界一に輝いたのが、フリースタイル57kg級の田中と同62kg級の森田武雄だった。法大を卒業し、地方大学の教員に赴任と練習環境が悪くなったにもかかわらず、そのハンディを乗り越えての金メダル獲得。

同じ大会で金メダルを取った森田も地方高校教員での優勝。ともにメキシコ五輪を目指していたが、無念の涙をのんでおり、悔しさをばねにした2人が、ハンディを乗り越えて取った世界一だけに価値がある。

生年月日、出身 1945年2月22日、福岡県出身
所 属 福岡・大牟田高~法大~福岡大教(世界王者時)
全日本選手権成績 66年=優勝(フリー・バンタム級)、72年=2位(フリー57kg級)
五輪・世界選手権成績 67年=4位(フリー・バンタム級)、69年=優勝(フリー57kg級)


森田 武雄(もりた・たけお=Takeo Morita)

歴代の日本の五輪・世界チャンピオンの中でも、寝技の強さといえば、56年メルボルン五輪優勝の笹原正三と森田の2人が双璧といわれる。64年東京五輪は逃したものの、翌年の世界選手権で銅メダルを獲得。その後、金子正明という壁が出現し68年メキシコ五輪は逃したが、翌69年の世界選手権で勝ち、その屈辱をはね返した。

当時、群馬・館林高教。数多くいる五輪・世界王者の中で、高校教員で世界一に輝いたのは森田が初めて(のちに佐々木禎)。価値ある世界一だった。

生年月日、出身 1942年12月17日、群馬県出身
所 属 明大~群馬・館林高教(世界王者時)
全日本選手権成績 66年=2位、67年=優勝(以上フリー・フェザー級)
五輪・世界選手権成績 65年=3位(フリー・フェザー級)、69年=優勝(フリー62kg級)


柳田 英明(やなぎだ・ひであき=Hideaki Yanagida)

五輪へ向けて、必ずといっていいほどエースが出現した日本レスリング。64年東京は渡辺長武、68年メキシコ五輪は金子正明で、72年ミュンヘン五輪へはフリー57kg級の柳田だ。70年世界選手権で優勝すると、同年アジア大会、71年世界選手権、72年全米オープン選手権と優勝を重ね、72年ミュンヘン五輪でも圧勝した。

五輪ではウォーミングアップ場で大イビキをかいて眠りこけ、外国選手がその度胸のよさに恐れをなしたたという逸話もある。当時の日本の強豪は、世界中から恐れられていたのである。

生年月日、出身 1947年1月1日、秋田県出身
所 属 明大~大都リッチランド(五輪時)
全日本選手権成績 68年=3位、69年=優勝、70年=優勝、71年=優勝、72年=優勝(以上フリー57kg級)
五輪・世界選手権成績 70年=優勝、71年=優勝、72年=優勝(以上フリー57kg級)


藤本 英男(ふじもと・ひでお=Hideo Fujimoto

花原勉の64年東京五輪優勝で王国の礎を築いた日体大だが、それをさらに強固なもににしたのが、藤本の出現だった。高校時代は無冠ながら、日体大で頭角を現し、フリー、グレコの両方で活躍。世界V4のロマン・ルルア(ソ連)との数度にわたる闘い、68年メキシコ五輪での銀メダル獲得などは現在でも日本レスリング界屈指の死闘として語り草になっている。

70年世界選手権でついに世界一へ。62年の市口政光以来、2人目のグレコローマン世界王者に輝き、グレコの伝統を再建した。

生年月日、出身 1944年6月24日、徳島県出身
所 属 徳島・穴吹高~日体大~日体大教(世界王者時)
全日本選手権成績 67年=優勝(グレコ・フェザー級)、68年=優勝(フリー62kg級)、68=年優勝、70年優勝、71年優勝、72年優勝(以上グレコ62kg級)
五輪・世界選手権成績 66年=6位、67年3位、68年メキシコ五輪=銀メダル(以上グレコ・フェザー級)、70年=優勝、71年=3位、72年ミュンヘン五輪=4位(以上グレコ62kg級)


加藤 喜代美(かとう・きよみ=Kiyomi Kato)

68年メキシコ五輪で中田茂男が優勝して以来、フリー52kg級(旧フライ級)が世界で勝てなくなった。五輪前年の71年世界選手権に初出場した加藤も6位どまり。五輪での金メダル獲得の伝統が危うくなったが、72年ミュンヘン五輪に出場した加藤は初戦で前年の世界王者のモハマド・ゴルバニ(イラン)にフォール勝ちの殊勲。

これで波に乗った加藤は、以後の試合も圧勝で勝ち進み金メダルを獲得。この階級の五輪3大会連続金メダルを達成した。

生年月日、出身 1948年3月8日、北海道出身
所 属 専大~三信電気(五輪時)
全日本選手権成績 68年=優勝、69年=優勝、70年=優勝、71年=優勝、72年=優勝(以上フリー52kg級)
五輪・世界選手権成績 71年=6位、72年=優勝(以上フリー52kg級)


高田 裕司(たかだ・ゆうじ=Yuji Takada)

68年のメキシコ五輪のあと、一時落ち込んだフリー52kg級(旧フライ級)だが、加藤喜代美が72年ミュンヘン五輪で勝ってつないだあと、不世出のレスラーによってさん然と輝く金字塔が打ち立てられた。高校時代は全国大会3位が最高だった高田が73年世界3位のあと、無敵の快進撃を続け、74・75年世界選手権、76年モントリオール五輪、77年世界選手権と優勝を重ねた。

78年はソ連のアナトリー・ベログラゾフに不覚を喫し5位に終わったが、翌年雪辱して優勝。80年モスクワ五輪での五輪V2も確実視された。しかし、日本のボイコットで夢ならず。五輪を含めて5度の世界一でひとまず選手生活を終えた。

その後、1984年ロサンゼルス五輪へ向けてカムバックしし、胴メダルを獲得。コーチとして参加した1988年ソウル五輪のあと、日本の不振に業を煮やして再復帰。1990年の世界選手権日本代表となって出場したが、8位に終わった。

生年月日、出身 1954年2月17日、群馬県出身
所 属 群馬・大泉高~日体大(モントリオール五輪時)
全日本選手権成績 73年=優勝、74年=優勝、75年=優勝、76年=優勝、77年=優勝、78年=優勝、79年=優勝、80年=優勝、84年=優勝、90年=優勝(以上フリー52kg級)
五輪・世界選手権成績 73年=3位、74年=優勝、75年=優勝、76年モントリオール五輪=優勝、77年=優勝、78年=5位、79年=優勝、80年モスクワ五輪=幻の代表、84年ロサンゼルス五輪=3位、90年=8位


荒井 政雄(あらい・まさお=Masao Arai)

柳田英明が70年世界選手権から72年ミュンヘン五輪まで3連覇したフリー57kg級は、そのあと混戦となった。75年に世界選手権に初出場した荒井が優勝。初出場選手でも勝てる日本レスリング界の底力を見せた。

しかし、翌年の全日本選手権(モントリオール五輪最終選考会)で2位となる波乱。結局、前年の世界一が認められ荒井が五輪代表に選ばれたが、減量失敗もあって銅メダルに終わってしまった。

生年月日、出身 1949年6月2日、山口県出身
所 属 国士大
全日本選手権成績 70年2位、75年優勝、76年2位(以上フリー57kg級)
五輪・世界選手権成績 75年=優勝、76年モントリオール五輪=3位(以上フリー57kg級)


伊達 治一郎(だて・じいちろう=Jiichiro Date)

世界に誇れるレスリング王国を築いた日本だが、中量級以上といえば、56年メルボルン五輪で池田三男が勝って以来、世界一は生まれていなかった。グレコローマンで72年ミュンヘン五輪に出場した伊達が、その後フリーに専念して75年に世界3位。76年モントリオール五輪では前年世界2位のイラン選手にフォール勝ちするなどして圧勝。日本が弱いとされた中重量に金メダルをもたらした。

生年月日、出身 1952年1月6日、大分県出身
所 属 大分・大分農高~国士大~国士大教(モントリオール五輪時)
全日本選手権成績 70年2位(グレコ74kg級)、71年2位(フリー74kg級)、72年優勝(グレコ74kg級)、74年2位、75年2位、76年優勝、79年優勝、80年優勝(以上フリー74kg級)
五輪・世界選手権成績 72年モントリオール五輪=3回戦敗退(グレコ74kg級)、75年=3位、76年モントリオール五輪=優勝、80年モスクワ五輪=幻の代表


佐々木 禎(ささき・ただし=Tadashi Sasaki)

グレコローマンで地位を築いた日体大にインターハイ王者として進んだ。1974年には全日本王者に輝き、同大学のフリースタイルの歴史作りに貢献した。1976年モントリオール五輪は逃したが、翌年全日本王者に返り咲くと、世界選手権でも優勝。1回戦から4回戦がフォール勝ち、5回戦が警告勝ち、決勝のソ連戦が大差判定勝ちで、罰点0.5点という圧倒的な強さでの優勝だった。

生年月日、出身 1953年1月11日、静岡県出身
所 属 静岡・稲取高~日体大~静岡・稲取高教
全日本選手権成績 74年=優勝、76年=3位、77年=優勝(以上フリー57kg級)
五輪・世界選手権成績 74年4位、77年優勝(以上フリー57kg級)


富山 英明(とみやま・ひであき=Hideaki Tomiyama

78年世界選手権では、大本命の52kg級・高田裕司が初戦で不覚を喫し、金メダルを逃した。このピンチに金メダルをとってこたえたのが富山だ。翌79年にも、米国のジョー・コーソにラスト5秒の逆転フォール勝ちし、のちに大レスラーとなったセルゲイ・ベログラゾフ(ソ連)も破って2連覇を達成した。

モスクワ五輪ボイコットで五輪チャンピオンを逃し、その後首の負傷で思うように勝てなくなってしまったが、84年ロサンゼルス五輪で4年間あたためた実力をフルに発揮して優勝。五輪を合わせ「金3、銀2、銅1」は、日本で高田に次ぐメダル獲得。

生年月日、出身 1957年11月16日、茨城県出身
所 属 茨城・土浦日大高~日大~日大教(ロサンゼルス五輪時)
全日本選手権成績 78年=優勝、79年=優勝、80年=優勝、81年=優勝、82年=優勝、83年=優勝、84年=優勝(以上フリー57kg級)
五輪・世界選手権成績 78年=優勝、79年=優勝、80年モスクワ五輪=幻の代表、81年=3位、82年=2位、83年=2位、84年ロサンゼルス五輪=優勝(フリー57kg級)


朝倉 利夫(あさくら・としお=Toshio Asakura)

グレコローマン52kg級で79年世界選手権3位。80年モスクワ五輪の代表になりながら、ボイコットによって無念の涙をのんだ。その後、高田裕司の引退したフリー52kg級へ移り、81年世界選手権で優勝。あたためていた実力を開花させた。

84年ロサンゼルス五輪では高田裕司の復帰、88年ソウル五輪では新鋭の金浜良の出現でいずれも逃してしまっただけに、モスクワ五輪不参加が残念。

生年月日、出身   
所 属 鹿児島・鹿児島商工高~国士大~国士大助手(世界王者時)~国士大教
全日本選手権成績 78年=2位、79年=優勝、80年=優勝(以上グレコ52kg級)、81年優勝、82年優勝、83年優勝(以上フリー52kg級)、84年2位(グレコ52kg級)、85年優勝、86年優勝、87年優勝、90年優勝(以上フリー57kg級)
五輪・世界選手権成績 79年=3位、80年モスクワ五輪=幻の代表(以上グレコ52kg級)、81年優勝、82年3回戦敗退、83年=2位(以上フリー52kg級)、85年=4位、86年=3回戦敗退、87年=7位、90年=2回戦敗退(以上フリー57kg級)


江藤 正基(えとう・まさき=Masaki Eto)

78、79年ころ、日本のフリー57kg級には世界チャンピオンが2人いたといわれた。1人が本当の世界チャンピオンの富山英明。もう1人が富山に全日本王者をはばまれた江藤。「グレコに転向すれば、世界チャンピオンが2人になる」という周囲の勧めにしたがってグレコに転向した江藤は、83年に全日本選手権初優勝すると、世界選手権初出場で優勝。地元・ソ連を破っての優勝だけに価値があった。グレコローマンの世界チャンピオンは、62年の市口政光(バンタム級)、70年の藤本英男(62kg級)に続いて3人目。

優勝が期待された84年ロサンゼルス五輪では、決勝でリードされたあとの第2ピリオド、相手を完全に押さえ込んだものの、微妙な判定でフォールは認められず、不運な銀メダルに終わった。

生年月日、出身 1954年2月26日、鹿児島県出身。
所 属 鹿児島・鹿児島商工高~自衛隊(世界王者時)
全日本選手権成績 75年3位、78年2位、79年2位(以上フリー57kg級)、80年2位、82年2位、83年優勝、84年優勝(以上グレコ57kg級)
五輪・世界選手権成績 83年=優勝、84年ロサンゼルス五輪=2位(以上グレコ57kg級)


宮原 厚次(みやはら・あつじ=Atsuji Miyahara)

グレコローマン軽量級で一時代を築いたのが宮原。高校時代は柔道選手だったが、自衛隊に進んでレスリングへ。48kg級で出場した79年世界選手権では結果を出せなかったが、1階級アップして81年世界選手権で2位。その後世界のトップを守り、84年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した。

その後も86年アジア大会で勝って第一人者の貫禄を示す。五輪V2が期待されたソウル五輪では、ソ連の強豪を破るなどして勝ち進んだが、決勝でヨン・ロニンゲン(ノルウェー)に敗れ、惜しくも銀メダルに終わった。

生年月日、出身 1958年12月20日、鹿児島県出身
所 属 鹿児島・岩川高~自衛隊(ロサンゼルス五輪時)
全日本選手権成績 79年優勝、80年3位(以上グレコ48kg級)、81年=優勝、82年=優勝、83年=優勝、84年=優勝、85年=優勝、86年=優勝、87年=優勝、88年=優勝
五輪・世界選手権成績 79年=2回戦敗退(グレコ48kg級)、81年=2位、82年=6位、83年=6位、84年ロサンゼルス五輪=優勝、85年=4位、86年=3位、87年=2回戦敗退、88年ソウル五輪=2位


小林 孝至(こばやし・たかし=Takashi Kobayashi)

2年連続高校三冠王。大学1年で出場した82年アジア大会では朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を破るなどして優勝したが、国内では入江隆の壁を越えられなかった。破ったと思った84年全日本選手権では、ビデオ判定で勝敗が入れ替わり、目前でロサンゼルス五輪を逃した。

87年、ようやく入江の壁を破り、翌年のソウル五輪代表の争いも大接戦の末に2勝1敗と勝ち越し、悲願の五輪出場を達成。初戦で前年世界2位の韓国選手を破ると、勢いに乗って優勝した。

1969年に、フライ級(52kg級)の下にこの階級が新設されたとき、日本はフライ級で抜群の強さを見せていたので「日本のための階級」とささやかれた。しかし五輪と世界選手権で優勝したのは、小林ただ1人に終わってしまった。

生年月日、出身 1963年5月17日、茨城県出身
所 属 茨城・土浦日大高~日大~ユナイテッドスティール(ソウル五輪時)
全日本選手権成績 82年=2位、83年=3位、84年=2位、85年=2位、86年=2位、87年=優勝、88年=優勝、89年=優勝、90年=優勝(以上フリー48kg級)
五輪・世界選手権成績 87年=3回戦敗退、88年ソウル五輪=優勝(以上フリー48kg級)


佐藤 満(さとう・みつる=Misturu Sato)


 モスクワ五輪ボイコットで不世出のレスラー、フリー52kg級の高田裕司が引退。あとを朝倉利夫が継いだが、その陰で虎視眈(こしたんたん)と実力を養成していたのが81年ユニバーシアード王者の佐藤。84年ロサンゼルス五輪は逃したが、翌年から全日本チームのエースに君臨。86年アジア大会では、イランの復興と韓国の躍進の前に全滅のピンチだった状況を救い、フリーで唯一の金メダルを取った。

85年世界3位、86年世界2位、87年世界3位は、ソウル五輪で金メダルを十分に射程距離に入れた。迎えた同五輪、全試合圧勝で優勝。フリー52kg級の伝統を守った。

生年月日、出身 1961年12月21日、秋田県出身
所 属 秋田・秋田商高~日体大~日体大助手(ソウル五輪時)
全日本選手権成績 81年=2位、82年=2位、83年=2位、84年=2位、85年=優勝、86年=優勝、87年=優勝、88年=優勝、91年=優勝、92年=優勝(以上フリー52kg級)
五輪・世界選手権成績 85年=3位、86年=2位、87年=3位、88年ソウル五輪=優勝、91年=5位、92年バルセロナ五輪=6位(以上フリー52kg級)

米満達弘(よねみつ・たつひろ=Tatsuhiro Yonemistu)

 高校時代は2004年の全国高校グレコローマン選手権と国体グレコローマンで優勝するが、フリースタイルではインターハイ2位が最高。

 拓大に進み、2年生の時(2006年)にJOC杯ジュニアオリンピックで優勝し、世界ジュニア選手権に出場。同年度の全日本選手権でアテネ・オリンピック5位の池松和彦を破るなどして2位に躍進。

 2007年にヤシャ・ドク国際大会(トルコ)で2位に入賞するなど力をつけ、全日本学生選手権で優勝。全日本大学選手権は74kg級で2位。2008年は世界学生選手権で優勝したあと、学生二冠(全日本学生選手権、全日本大学選手権)を制覇。全日本選手権で初優勝した。

 2009年2月のヤシャ・ドク国際大会(トルコ)でも優勝。アジア選手権で銀メダルを獲得、世界選手権では初出場ながら銅メダルを取った。その後、けがの治療でマットを離れたが、2010年春に復活し、全日本選抜選手権とプレーオフで勝って世界選手権の代表へ。

 この大会は初戦敗退に終わってしまったが、同年11月のアジア大会で優勝。日本の男子フリースタイルに4大会ぶりの金メダルをもたらした。

 2011年は世界選手権で銀メダルを取り、オリンピック出場枠を獲得。その後の全日本選手権で勝って日本代表を決めた。2012年のワールドカップで、当時は行われていなかったが昔で言う“個人優勝”にあたる成績を残した。

 ロンドン・オリンピックでは、女子の金メダル3個獲得のあとを受けて最終日にマットに上がり、“死のブロック”とも言われた厳しい組み合わせを勝ち抜いて決勝へ進出。スシル・クマール(インド)を破り、1988年ソウル・オリンピック以来、6大会ぶりに日本男子に金メダルをもたらした。

 米満が獲得した金メダルは、日本オリンピック史上、夏季通算400個目のメダルであり、通算130個目の金メダルというメモリアル金メダル。あらゆる競技を通じて山梨県出身の個人競技の選手でオリンピックのメダルを獲得した選手はおらず(団体では1964年東京オリンピックの女子バレーボールで河西昌枝が金メダル)、米満が山梨県出身者として初めての個人競技でのメダリストとなった。

生年月日、出身 1986年8月5日生まれ、山梨県出身
所 属 山梨・韭崎工高~拓大~自衛隊
全日本選手権成績 05年=3位、06年=2位、07年=3位、08年=優勝、10年=優勝、11年=優勝(以上66kg級)
五輪・世界選手権成績 09年=3位、10年=23位、11年=2位、12年ロンドン五輪=優勝(以上66kg級)
身長 168cm
全成績(制作中)