(文=増渕由気子)
3度目の正直で“世界の頂点”へ! 8月26日にセルビア・ベオグラードで行われた世界ベテランズ選手権のBカテゴリー(41~45歳)63kg級に出場した勝目力也さん(防大教)が、3試合を勝ち抜いて見事に優勝した。
勝目さんは2009年にA(35~40歳)63kg級で5位、2010年に同63kg級で3位に入賞した経歴を持ち、3大会目にして念願の優勝を勝ち取った。「やっと優勝できました。世界一を獲るまで選手生活を続けようと思っていました」と、“チャンピオン”になるための執念がついに実った瞬間だった。
スコアを見れば内容は完ぺき。全試合テクニカルフォールかフォール勝ちに加えて無失点と、文句のつけようのない完全勝利だった。だが勝目さんはバツが悪そうに話した。「出発直前に内転筋の肉離れを起こして、右足の踏み込みができませんでした。針治療などやれることはやったのですが、現地ではアップもできませんでした」。最後は気力で手に入れた栄冠だった。
■エリート選手から挫折~そして再起
三重県出身の勝目さんは、小さい頃は相撲界で名を挙げた。沼津学園高(静岡=現飛龍高)の井村陽三監督から誘われ、レスリングに転向。相撲あがりの腰の強さを生かして2年生(1991年)でインターハイ王者になり、山梨学院大でも全日本学生選手権グレコローマン52kg級で3連覇を達成。オリンピックを見据えるエリート選手だった。
だが、「優勝」の二文字が当たり前だった学生時代とうってかわり、全日本の舞台では優勝には縁がなかった。「天皇杯(全日本選手権)ではメダルも取れませんでした。挫折でしたね」。同期で、同じ学生王者の永田克彦氏や日体大のレギュラー選手だった関川博紀氏が全日本王者となり、水をあけられて焦る毎日。永田氏は2000年シドニー・オリンピックの銀メダリストへ、関川氏も世界選手権出場を果たした。
追い打ちをかけたのが、2001年に腰にできた神経腫瘍の病気。医師には「下半身不随になることも覚悟してください」と告知されるほど重症で、長期入院へ。退院後、2ヶ月も松葉づえ生活だった。幸いにも回復したが、今でもその後遺症は残っている。
病気を理由に完全引退―。普通の人なら、そうしたかもしれない。だが、勝目さんは幼少時代、体が小さいことで差別されたことで相撲を始め、ちびっこ相撲で名を馳せたほどの負けず嫌い。この時も「病気のせいで弱いと思われたくなかった」と、逆にレスリングへの情熱がさらに湧いてきたそうだ。
病気から復活して2年後、全国自衛隊選手権で優勝。その時、勝目さんは30歳だった。
■シニアで果たせなかった夢をマスターズで!
シニアでは世界一の夢は果たせなかった勝目さん。世界一になるために見据えた目標は、マスターズのカテゴリーでチャンピオンになることだった。負けず嫌いからくる情熱もあったが、そのやる気を支えた理由がもう一つあった。
「僕は高校時代、手がつけられないほどやんちゃでした。井村先生にスカウトされて三重から静岡の沼津学園高校に行ったのに、すごく迷惑をかけてしまいました。先生がある日、言ったんです。『レスリングは強くならなくていいから、卒業だけしはてくれ』と。普段はとても怖い先生でしたが、そのときは懇願するような静かな口調で話してくれて、本気で僕への想いが伝わってきたんです。その時、この人のために恩返しをしてから死のうと思いました」。
恩返しとしてオリンピックに行くと井村先生と約束を交わしたが、それは果たせなかった。そこで、“世界チャンピオン”をもって恩返しにしたいと強く思うようになった。井村先生の教えはシンプル。「圧倒的に勝つんだ。守るな、勝っていても攻め続けろ―」。この思いを胸にも闘ってきた結果が、圧勝につながった。
「前回まではピリオド制だったので、どんどん攻めに行っても、0-0でしのがれてクリンチで負けるというパターンでした。3分2ピリオドの通しルールになり、若い選手と対戦する時には厳しいルールだけど、同年代には負ける気がしないです」と、ルール変更が勝目さんのスタイルにぴったりはまったようだ。
■まさかの引退!? 今後はマスターズ活動の支援活動も視野に
念願の優勝を手に入れた勝目さん。次の目標は、もちろん「連覇」という即答を待っていたのだが、「世界一を獲るまで頑張るんだと、家族に迷惑をかけながらやってきました。いまは、世界一の達成感でいっぱいです」と返答し、来年のプランは未定だと言う。
マスターズ選手の活動費用は全額自費。世界ベテランズ選手権に3度出場している勝目さんは、フライト代や宿泊費、食費など毎回40万程度を負担しながら選手活動を続けてきた。
「多くの方に、2連覇、3連覇してほしいと激励をいただいています。やってみたい気持ちはあるのですが、当面は、マスターズの地位向上のために活動をして、自分の後輩たちがマスターズで活躍できる環境を作りたいです。環境が整うようでしたら、自分も、また世界一を目指しますよ」。
生涯レスリングを愛する人たちのために、“世界一”の肩書を携えた勝目さんが、マスターズ地位向上のために、今後はマット外で走り回る姿が見られそうだ。