日本レスリング協会公式サイト
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2014.12.06

38年間の自衛隊生活に幕…ロサンゼルス・オリンピック金メダルの宮原厚次さんが退官

 1984年ロサンゼルス・オリンピックのグレコローマン52kg級で優勝。引退後は自衛隊の監督や全日本チームのコーチとして、数々の強豪選手を育てた宮原厚次さんの退官(12月20日予定)を記念し、新たな出発を祝う「宮原厚次を送る夕べ」が12月5日、都内の明治記念館で行われ、約250人が38年にわたる自衛隊での功をねぎらった。

 自衛隊体育学校の保坂一彦学校長は「宮原一佐はレスリング選手として、指導者として数々の実績を残しました。その後、第2教育課長としても高い指導能力を発揮し、ロンドン・オリンピックで自衛隊から4個のメダルを獲得させ、最近2度のアジア大会で21個のメダルを取らせました。すばらしい指導者でした」と指導能力を絶賛。

 日本協会の福田富昭会長は「奥さん(真由美夫人)もレスリングの全日本チャンピオンでした。子供がレスリング選手として強くならないわけはありません。ぜひ、オリンピックの金メダリストになることを期待します」とあいさつ。2人がいつから交際を始めたのかは「全然知らなかった。結婚すると聞いて、びっくりした」と、結婚当時を振り返った。

 高校時代に柔道をやっていた宮原さんのレスリング選手の素質を見出し、レスリングを指導して転向させた鹿児島県協会の加治佐正昭会長も鹿児島から駆け付けた。「宮原選手は20歳から本格的にレスリングを始め、2年で全日本チャンピオンへ、それから5年でオリンピック・チャンピオンになりました」と、“遅咲き”ぶりを評価。

 「ロンドン・オリンピックのレスリングの金メダル4個のうち、自衛隊が2個。自衛隊はすばらしいチーム。いい選手を自衛隊に送って強くしてもらってください」と、自衛隊をアピールしたあと、「でも、ひとつ忘れ物がある。後ろに投げると見せかけて前に落とす宮原式俵返しを伝授していないこと。ぜひ伝授してほしい」と、宮原さんに今後の“ミッション(使命)”を課した。

 サプライズで、レスリングをやっている2人の子供から感謝の手紙を読まれて目を潤ませた宮原さんは「これだけたくさんの人が集まってくれてありがとうございます。今後も頑張ります」とあいさつした。

 宮原さんは鹿児島・岩川高校時代は柔道の選手。自衛隊に進んでから本格的にレスリングを始め、1979年にキャリア約2年足でグレコローマン48kg級の全日本王者へ。世界選手権へも出場したが、翌年のモスクワ・オリンピックの代表は逃す。

 52kg級へアップし、1981~88年に全日本選手権8連覇を達成。その間、ロサンゼルス・オリンピックと1986年アジア大会で優勝。1988年ソウル・オリンピックでは最大のライバルと思えたソ連選手を破りながら、決勝で敗れて銀メダルに終わった。

 全日本選手権8連覇は、当時、高田裕司(現日本協会専務理事)と並ぶ歴代トップ。全日本選手権9度優勝は、当時、風間栄一の10度に続く歴代2位の記録だった。オリンピックと世界選手権での「金1・銀2・銅1」は、日本グレコローマンでの最多メダル獲得選手。

 引退後はドイツでのコーチ留学を経て、自衛隊のコーチ、監督、全日本チームのコーチとして選手を育成した。

 退官後はレスリングOBが経営する民間企業に勤め、レスリング活動を続ける。

オリンピック名物、金メダルおじさん(山田直稔氏)も登場

プロレスへ進んだ自衛隊OBの杉浦貴(右)も出席。左は現役時代に闘ったこともあるクリナップの今村浩之監督


 







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