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2015.07.27

【全国少年少女選手権・特集】台風に負けずに12年連続出場…大坪繁代表率いる沖永良部クラブ

(文・撮影=増渕由気子)

 夏休みの到来とともに本格的に迎えるのが台風のシーズン。今年は早くも12号が発生し、日本列島に被害をもたらしている。全国少年少女選手権大会は、台風の影響も他人事ではない。特に沖縄など陸路の手段がない地域の参加者にとっては、頭痛の種だ。

 鹿児島市から南西552kmほど離れた位置にある沖永良部島から毎年参加している、大坪繁代表率いる沖永良部クラブも、今回の台風12号の進路に冷や汗をかいたチームの一つだ。「1週間前から南方に白い雲がないか確認しました。毎回、神頼みです。ありがたいことに、12回連続で来られているから奇跡。今回の12号は本当にやばいと思っていました」。

 8名の選手と関係者とともに無事に東京に到着し5泊6日の日程で滞在。結果は小学生3年生26kg級で松瀬佑次朗と、小学生6年生60kg級の原田優希がそれぞれ銅メダルを獲得した。

 沖永良部島は人口約1万4000人の小さな島。今年6月に火山が噴火して全島避難となった口永良部島(くちのえらぶじま)と名前が似ているが、同島とは奄美大島をはさんで直線距離で500km近く離れている。口永良部島は本土よりで、沖永良部島は沖縄よりの位置だ。

 大坪代表は、沖永良部島出身で、幼少の頃から運動神経に長けていた。バレーボールが島の花形競技のため、大坪さんも高校まではバレーボールのアタッカーとして活躍。大学は国士舘大学に進学し、そこでレスリングに転向する。「身長がなかったので、階級が分かれているレスリングを選んだ」と振り返る。

■遠征費用は10万円を超えるが、それだけのメリットを強調

 当時の国士舘大は、超強豪チーム。1976年モントリオール・オリンピック金メダリストの伊達治一郎氏がコーチを務めており、朝倉利夫・現部長(1981年世界選手権金メダリスト)が先輩にいた時代。厳しい練習を積んだことは容易に想像できる。

 卒業後は京都府での教員を経て、2003年に島に帰郷。同クラブを立ち上げた。「練習場は旧港の待合所。そこにマットをひいて、最初は、知り合いの子供を集めて、鬼ごっこと相撲から始めました」。

 12年連続で東京の全国大会に出ているという噂は自然と広がり、運動能力が高い子供たちが自然と集まってくるようになった。「練習場の真横は海。時には砂浜を走らせたり、練習後に海で泳がせたり」と自然を使ったトレーニングは、島ならではの特権だ。

 基本的に子供たちは習い事を掛け持ちしている。「サッカー、野球からピアノまで」。それであっても、レスリングにも力を入れているには、理由がある。「全国大会で賞状を取りたいからです」。予選なしで東京の本戦に出られるメリットが一番大きいようだ。

 だが、東京まで子供料金でも10万円以上の旅費がかかるため、遠征を躊躇(ちゅうちょ)する家庭もある。大坪代表は「全国に行って見聞を広めることも大切。全国にも友達を作ってほしい。出費は大きいけれども、得るものも大きい」と参加を促し、毎年、選手を全国の舞台を経験させている。

 東京遠征を経験すると、「世界で活躍できる人になりたい」と将来への目標を明確に定める子が多いそうだ。「目標はレスリングに限ったことではありません。勉強でも運動でも島という枠から、日本や世界に視野を向けられるようになるのです」。

 大坪代表のレスリングを通した人間指導は効果てきめん。だが、レスリングでの結果にもこだわりを持っている。「過去に優勝した人は2人。その選手が3回ずつ優勝しました。また、優勝する選手を出したいですね」。大坪代表の挑戦はまだまだ続く―。


 







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