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2022.03.22

【特集】2年ぶりに全国大会出場を果たす古豪・北越高(新潟)、伝統を守ってきたのは2人の“レスリング未経験監督”!(下)

《上から続く》

他校の監督が学校の垣根を越えて指導してくれた

現在は教頭として多忙な業務をこなす舩木和久・前監督=提供・石井邦宏監督

 舩木和久・前監督は、プロ野球選手も輩出した糸魚川商工高(現糸魚川白嶺高)で主将として甲子園を目指していた。教員になって北越高に赴任し、監督として甲子園を目指すつもりでいたが、レスリング部の顧問が不在となったことで1990年に指名され、「新しい世界に飛び込むのもいいか」と気持ちを切り替えた。

 監督を現在の石井邦宏監督に譲った後も、全国高校選抜大会を切り盛りし、新潟県レスリング界には欠かせない存在となっている。

 レスリングの経験はなかったので、マット上で選手と技を研究しつつ汗を流した。技術的なことは、OBが熱心に足を運んでくれ、選手と一緒に指導を受けて学んでいったほか、県内の高校で頻繁に合同練習が行われたことが大きかった。新潟県に教員として戻った1988年ソウル・1992年バルセロナ両オリンピック出場の原喜彦氏(前述)らが学校の枠を越えて親身に指導してくれたと言う。

“甲子園”が存在しなかった高校レスリング界

 「県外の強豪校を紹介していただき、遠征にも行きました。レスリングの人たちは面倒見がいいですね。本当に感謝しています」と、その時代を振り返る。ただ、就任初年度は、14人いた部員のうち、2・3年生の8人全員が辞めてしまったという苦い思い出もある。

舩木監督が育てた石澤幸佑(右から2人目)。日体大に進み、学生3位、ユニバーシアード代表など活躍した=2005年全日本学生選手権

 かなり厳しい指導だったのだろうか? 「野球の選手とレスリングの選手の気質の違いだと思います」と振り返る。高校で野球部に入る選手は、「甲子園に行く! どんな厳しい練習でも耐える」という強い気持ち持っているのが普通。以前は頭を丸刈りにすることが入部の条件というチームが多かったが、それでも野球を選び、歯を食いしばって甲子園を目指す。甲子園には、それだけ高校球児を引きつけるパワーがある。

 レスリング選手にはそこまでの気持ちがなく、「インターハイに出よう!」「将来はオリンピックだ!」と言っても、響かなかった。「甲子園を一途に目指す野球選手に対するような指導をしてしまったのが、失敗でしたね」

 それでも、1994年の全国高校生グレコローマン選手権と1999年全国高校選抜大会で3位入賞選手を輩出。2000年には石沢幸佑(前述)が2年生ながら全国高校生グレコローマン選手権と国体で優勝。翌年はインターハイ2位、国体連覇を達成したのだから、“未経験監督”としては、素晴らしい快挙と言えよう。

舩木・前監督の尽力が大きい全国高校選抜大会

 「OBや他校の指導者が熱心にサポートしてくれたおかげです。私一人では、とてもできなかったことです」と謙遜する。選手としての実績で序列が決まる体質が残っていた時代。未経験監督として肩身の狭い思いもあっただろうが、原理事長は「競技人口が減っていたので、高校ではそんなこと言っていられなかったですよ。伝統を守ってくれる貴重な存在でした」と振り返る。

 貴重な存在だったのは、マットを離れたところでも発揮してくれたこと。商業科の出身だけに、パソコンを自由に操って大会運営で力を発揮。北越高の女子生徒を最高で70人も補助役員として大会に参加させ、開会式の“プラカード嬢”ほかの運営を手伝わせてくれた(関連記事)。原理事長は「舩木先生の存在がなければ、ここまで大会が続いたかどうか分かりません」と感謝する。

社会人段別選手権に出場して経験を積んだ石井監督

 石井監督は新潟大学を卒業後、2000年に北越高に採用されて就任の辞令をもらったとき、レスリング部の顧問に指名されたという。「びっくりしました」と思いながらも、やる以上は中途半端にはしたくなかった。選手と一緒にレスリングを学び、トレーニングもした。

2010年全国高校生グレコローマン選手権で優勝した滝澤廉太郎

 「ロープ昇りで、力尽きて落ちたこともあるんです」と言うから、選手に負けまいと練習していたようだ。社会人段別選手権に出場して試合経験も積んだ。2002年は初段の部で優勝、翌年は二段の部で2位という成績が残っている。

 2009年新潟国体に向けて北越高でもキッズ教室を開いて選手を育てており、その中から北越高に来て新潟国体で隼優勝、2010年の国体で優勝したのが滝澤廉太郎(前述)。小学生の頃から強かった選手で、「よくスパーリングしました」と言うから、石井監督が“育てた選手”と言っていいだろう。

 同選手は中学3年生のときに全国中学生選手権で2位に入っており、この頃から勝てなくなったそうだが、舩木・前監督の場合と同じく他校の指導者が垣根を越えて指導してくれ、「ありがたかったです。県としての勝利なんです」と振り返る。

未経験監督でも全国王者は育成できる!

 「素人から始め、少人数の練習環境の中でも全国大会入賞を果たした選手もいます。特進コース(国公立大学・難関大学合格を目指すコース)でも一生懸命頑張って両立を果たしている選手もいます。必死に取り組めば、結果ややりがいが得られる。そういった財産が受け継がれているからこそ、何とか選手も集まり、ここまでやってこられたのではないでしょうか」。

2020年9月の県内チームの合同練習。後方が石井邦宏監督。レスリングの発展には団結が不可欠

 全国王者の滝澤選手のあとも、大学に進んでレスリングを続けた選手、続けている選手もいる。レスリングに限らないが、スポーツ界は選手時代の実績で指導者を判断することが多い。強豪選手だったから優れた指導者になれるわけではないし、選手としての実績はなくとも強豪を育成している指導者は少なくない。未経験監督であっても、レスリングに愛情を注ぎ続け、選手を育成し、レスリングの発展に貢献している指導者もいる。北越高の伝統を守ってきた2人の指導者が、まさにその例だ。

 少子化による教員の減少、ひいてはレスリング指導者の減少によって、高校レスリング界は厳しい現実に直面している。そんな状況下では、レスリング外からの指導者の招聘も考えていくべき方法だろう。選手時代の実績どころか、選手経験がなくても、OBや県などの周囲の熱意とサポートがあれば、選手育成はできる。

 新潟県レスリング界の伝統をしっかり守ってきた北越高の2人の指導者が、日本のレスリング界に大きな道しるべを作ってくれた。北越高の飛躍が注目される。

《完》

▲舩木和久・前監督から引き継いだ石井邦宏監督の指導訓。レスリング場に掲げられている

▲体育館に掲げられている垂れ幕。勉強、運動部とも躍進していることがうかがえる







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