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2011.09.18

世界選手権ブログ(9・17)

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《9月18日》

【9月17日(土)】

20キロはあろうかと思う保高記者のリュック

 女子チームも帰り、いよいよ終盤というムードの6日目。保高記者がぎっくり腰をやってしまい、歩くのもつらそう。カメラバッグを持ってやろうと思ったけど、重いの何のって。いくらステロイドでパワーアップしているとはいえ、こんなものを毎日持ち運びしていれば、ぎっくり腰にもなるよ。

 大会はまだ6階級で熱戦が繰り広げられるが、最後が見えてきて、「もう熱い闘いも終わるのか…」という気持ちが出てきて、何となく寂しくなるんですよね(頭のことではない)。男子チームは前日までの15階級で五輪出場権はなし。この日、チームに会ってはいないけど、やはりムードは悪いだろうな…、と推測。

 ちょうど高田裕司専務理事とフリースタイルの富山英明副団長(前強化委員長)と会って立ち話。高田専務理事は、もし男子が五輪出場権0で終わったら、「頭を丸める。覚悟はしている」と悲壮な決意。「前強化委員長も必要じゃないですか?」と言ってしまって、首を絞められる^^; こんな時、女子の栄和人強化委員長はいいな、と思う。

 富山さんは強化委員長時代、2度、頭を丸める覚悟をしたとか。最初は2006年12月のドーハ・アジア大会。この時は福田会長から金メダル0だったら、コーチ全員スキンヘッドを指令されていたという情報です。しかし、笹本睦選手が初日に金メダルを取り、髪の毛を守った。

 2008年の北京五輪の時は、前半のグレコローマンで惨敗。この時もツルツルを覚悟したそうですが、松永共広選手、湯元健一選手の踏ん張りで命拾い。結局、見ることがなかった。年のわりには黒々としたものが十分に残っているし、いつになったらツルツルの富山さんを見ることができるだろうか。

 会場は前日に続いてイランの応援団が大量にいて、大きな声援を送っています。ライターの布施さんが来て、「イランからトルコへは、ビザがイランらしいですね」と言ってくる。また先を越された。この大会、どうも周囲の人間が筆者を挑発しているような気がしてならない。

バックステージのフェンスは、悔しさをぶつける選手のキックによって、いたるところで破損が見られる

 この日は記者席のLANが通じたり通じなかったりで、記者のフラストレーションはたまる一方。LANの機械が、ちょうど私の机の右下にあり、いろんな記者がやってきてLANコードを確認したり、たたいたり、けっ飛ばしたり(さすがに、これはないか…)。

 筆者が担当でもないのに、「どうなっているんだ?」と聞かれたりし、そのうちに後ろの席のUSA協会の人からは、「ユー、トラブル・メーカー!」などと言われる始末。筆者がLANの機械を壊しているわけじゃないんだけどなあ…。

 ファイナルの前に国際レスリング連盟(FILA)のラファエル・マルティニティ-会長の記者会見があり、ビル・メイさんに通訳をお願いし、保高記者とともに出席。なぜ保高記者を連れていったかというと、マルティニティー会長は保高記者のことを「サチコ」と言って、とてもお気に入りなのです。サチコが来てくれれば喜んでくれるだろうと思ったわけです。

 最初から質疑応答だったので、筆者はFILAホームページのデータベースをもっとしっかりやれという意味の質問。その後、トルコ語とフランス語だけのやりとりがあって、何が何だかさっぱり分からない。

 最後にイランの記者が、自国で世界選手権を開催できるかどうかを質問。マルティニティー会長は「総会で世界と大陸の選手権は3スタイル同時にやると決まった。もう何万回と言っているが、女子を同時開催しないのなら、世界選手権の開催は不可能だ」ときっぱり。

 筆者がパチパチと拍手すると、周りからも拍手が起こりました。イランの記者はぶ然としていましたが、この時代、女子レスリングをやらない国なんてイランよね^^

 試合では、湯元健一選手が見事に銅メダルを獲得。日本男子の悪い流れを断ち切ってくれました。でも、準決勝のクドゥホフ(ロシア)戦の負けが悔しかったのでしょうね、矢吹カメラマンから受け取った写真のどれを見ても、笑顔やガッツポーズがないいんですよね。困った!

マルティニティー会長にあいさつに行った保高記者

 2006年の世界雄選手権で高塚紀行選手が銅メダルを取った時、高塚選手との対戦成績で勝ち越していた湯元選手を「世界3位より強い男」と名付けました。今度は「世界3位でも喜ばない男」とでもつけましょうかね。

 でも、報道陣に囲まれてインタビューを受けるうちに、徐々に笑みが顔に浮かんできました。選手というのは、勝った時でも負けた時でも、試合直後は涙をこらえていても、報道陣に囲まれて何かを聞かれると泣きだす選手は少なくありません。湯元選手も、インタビューを受けるうちに喜びが出てきたのでしょうか。

 このシーンを保高記者がパチリ。この時、新聞社のカメラマンは写真の整理とかに追われていたのでしょう、だれもインタビューの場所にいなかったんですよ。ですから、湯元選手の銅メダルで喜んだ顔を撮影したのは、世界で保高記者だけなんです。貴重な写真を撮りましたね~。

 全試合が終わって記者席で執筆していると、体育館の照明を落とされてしましまいました。「ダメ-」と悲鳴を上げる記者たち。筆者はトルコ応援団の真似をし、「ブーーーーーーーーーー」と大声を上げました(自国選手がおかしな判定をされると、必ず起きます)。すると、ちゃんとつけてくれたではないですか。やってみるものですね。

 会場を後にしたあと、保高記者が「世界選手権、終わりますね~」と一言。いつもながらの名残惜しさを残しながら、あと1日になりました。

《9月16日》







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